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第3幕参話 眠リ咲ク沈黙ノ華 「ちゃんと話すのは久し振りだね、サスケ」実際に目の前にいる幸村に、サスケはじっと見据えた。 「…ああ」 前に来た時は、障子が厚い壁となって自分達を隔ててしまった。 でも、今はそれが無い。 幸村がどう思っていようが、サスケは幸村に招き入れられてこの部屋まで来たと考えても良いのだろう。 この間とは、全くもって正反対のこの状況。 サスケは部屋の中へと一歩足を踏み入れ、そしてまた幸村を見据える。 部屋はまだ灯を燈さなければならない程暗いわけでもないが、しかし何故か二人の間の空気は暗く、そして冷たく感じた。 そんな二人に、妙な沈黙が訪れる。 暫しの沈黙は、何の物音もしない無の世界。 しかし、そんな沈黙を先に破ったのはサスケだった。 「何で俺がここに来たのか分かるか?」 「さぁね、分かんないかな。…ボクに何か用でもあった?」 「…分かってて言ってんだろ」 サスケの声が少し強く発せられると、幸村は諦めた様に肩を竦めた。 本格的に、腹を割って話をするしか無い様だ。 「・・・ま、多少はね。ボクも一度ゆっくり君と話がしたかったんだ。…座ったら?」 立ったままのサスケに、幸村は促す。 素直にそれに従うべきか、サスケは一瞬躊躇した。 ゆっくりと腰を落ち着けて話せるとはとても思えない。 今こんな短い会話の間でさえ、サスケは色々な衝動を抑えている。 何でコイツはこんなに平然としていられるのか。 この間のあの態度は一体何だったんだ。 どうして自分を『此処』へ呼んだ?見世ではなく、『此処』へ。 「どうしたの?サスケ」 「何でもねぇよ」 サスケは少し乱暴に障子を閉めると、大股で幸村の前まで来て、胡坐を掻いた。 しかし、久し振りに間近で見た幸村は前回も思った通り色気が増していて、サスケは目を逸らしてしまい、バツが悪そうに長くなった髪を掻き上げる。 「…大きくなったね」 「当たり前だろ。アレからどんだけ経ってると思ってんだ」 「そうだね、もうかなり経つもんね。サスケもボクも、もうかなり変わっちゃった」 下を向き、まだ幸村を直視出来ずにいるサスケは、幸村のその言葉で顔を上げた。 そう、変わってしまった。何もかも。 「なぁ、何でこんなトコに居るんだ?」 「…丁度良かったから、かな」 「丁度良かった…?」 サスケは考えるより先に言葉が出てしまった事に後悔した。 どういう意味なのだろう。 サスケの口から出た疑問に、幸村は軽く溜息を吐き出して、近くにあった髪結いの紐を指に絡ませる。真紅の紐の先には紅玉がついていて、それが畳と擦れて音がする。この部屋で唯一聞き取れる音。 「皆から見付からない場所で、サスケが来ない場所。遊郭とかって、サスケ、嫌いだったでしょ?昔からボクが遊郭で遊んで帰ると香水臭いとか言って怒ってた位だもんね。十勇士の皆もボクがこんな所にいるなんて思わなかっただろうし、丁度良かった」 「俺が探しに来るとか、思わなかったのかよ…?」 「思わなかった。だって此処、陰間だもん。誰も思い付かないと思ったから」 …その通りだ。 幸村が陰間寵にいるなんて全く思いもしなかった。 現に、十勇士達が一番初めに探しに行ったのは色町だったのだから。 灯台下暗しとはよく言ったものだ。 ここからサスケの養子先はさして遠くない。 人が多く、隠れやすい場所に違いない此処。 しかし、『色』が違っていた事には気付かなかった。 「で、この間は一体何しに来たの?」 「お前が此処にいるのか確めたかった」 「それだけ?」 「…ああ」 サスケは押し黙るようにそれだけ云うと、この間の事を頭の中で巡らせる。 何から話して良いのか、よく分からなかった。 一人で居る時は言いたい事が沢山あったのに、こうして幸村本人を目の前にすると何から言って良いのか分からなくなる。 「で、今日は何?」 「幸村、戻って来い。俺が身請けでも何でもするから戻ってきてくれ」 言いたい事の何もかもを差し置いて、幸村の言葉に次いで出てきた言葉はサスケの心からの願いだった。 また、元の様にとは言わないから、一緒に暮したい。 サスケは養子に出されてからずっとそれを願っていた。 どんなに綺麗な女を目の前に出されても靡かなかったのは、幸村を思うが故だった。幸村さえいれば、他には何も欲しくはないとさえ思っていた。 しかしそんなサスケを尻目に、穏やかだった幸村の目は冷たいものへと一変した。 「何、そんな事を言う為に此処まで来たの?」 「…幸村?」 「サスケ、分かってないね。ホント、あの時と変わってない。それでよく此処まで来たね。何にも分かってないくせに」 「何の・・事だよ…」 幸村の言っていることがさっぱり理解出来ず、サスケは問う。 しかし、今度の幸村の表情は、半分嘲笑うかの様なものだった。 「もう良いよ。この話は此処まで。終了、終わり。僕からはもうこれ以上話す事は無いよ」 「幸村っ!どういう意味なんだよ!俺は・・・」 「聞く事ももう何も無い。帰って」 「頼むから…!頼むから、後少し…」 「っ…僕が何で君を養子に出したか分かる?」 「…え…?」 ふと溜息と共に押し殺す様に出されたその言葉に、幸村とサスケの目が合う。 こんな風に跳ね除けるべきでは無いと分かってはいるけれど… 『耐えろ。』 あと少し言い終わったら、全てが終わる。 きっと、大丈夫。 「もう嫌になったんだよ、あの生活が。十勇士の皆の事は好きだったんだよ?でもねサスケ、もう疲れたの。平穏過ぎる生活も、サスケに抱かれるのも、何もかもね。それに好きな人が出来たんだ。もう元の生活に戻る気は無いよ」 にっこりと優しく笑って、幸村はサスケにそう言い放った。 その笑顔はとても綺麗で、しかし突きつけられた言葉は残虐なものばかりだ。 サスケの目が見開かれ、拒絶された事への絶望が見て取れる。 「は…はは…そうか・・そう云う事かよ・・・」 「じゃあね、サスケ」 いつも真っ直ぐで綺麗に澄んだサスケの瞳が、今は光を失い、自分を見ている筈の視線は宙を彷徨っている様に見える。 そんなサスケを目の前に、幸村は自分の見る景色が翳んできたのを感じた。 『ヤバい…』 何で自分はこんな酷い事を言ってしまうのだろうか。 もっと言葉を選べば、きっと分かってもらえる言葉がある筈なのに、出てくる言葉は全てサスケを傷つけるものばかり。 でも、サスケの為にはこうするしかなかった。 はっきりと拒絶する事しか出来ない。 本当の事なんて言えない。 身請けをして欲しいわけではない。 遊郭に自分を買いに来て欲しいわけでもない。 ただ、サスケを傷つけるのが怖いから、自分は逃げ出して、此処にしがみ付いているだけだった。 本当は、サスケに身請けをして貰えるのならどんなに幸せだろう。 でも、もしそうなったらサスケを養子に出し、自分がこんな所へ来る必要など初めから無かった。 もう、そっとしておいて欲しかった。 出来る事なら、自分のこの思いを内にしまっておいて、もう一生、サスケには会いたく無かった。 成長したサスケを想像する事なんて自分には出来ないから、色々な理由や勝手な思いをこじつけて忘れてしまいたかった。 サスケの『思い』が怖い。 胸の『奥』が痛い。 『好き』だと言えなかった。 過去の事だと言ってしまえばそれまでだが、サスケへの気持ちは未だに変わっていない。 我ながら未練がましいとは思う。 どうして自分はあの時あんな間違った答えを出してしまったのか分からないが、どちらにしても、もう後戻りなんて出来ない。今更間違いだったと気付いてももう遅い。 脳が考える事を拒否する。 自分の全てを、否定された様な気さえする。 幸村は、その場から動かない、否、動けないで居るサスケの横を通り過ぎて部屋を出た。 肺を締め付けるような苦しさを感じながら廊下に出た途端、糸が切れたように涙が溢れ、嗚咽を漏らす事も出来ない位の息苦しさを感じる。 息をするのもやっとで、苦しくて酸素を求め、でも浅い息は肺を満たしてはくれない。 苦しくて辛くて痛くて。 そんな自分をどうにかしてほしくて、幸村は隣の部屋に駆け込んだ。 そこには、いつも傍にいてくれた、大切な『仲間』がいる。 今、傍に居て欲しいのは安心できる『場所』だった。 自分がいられる場所。 こんな自分でも分かってくれる人の側。 「…幸村?どうしたの?」 「…っ・・・」 突然部屋に入ってきた幸村に、ほたるは驚いた。 しかし、幸村の様子は尋常ではなく、抱きつく事しか出来無い様子の幸村を、ほたるはしっかりと抱きしめる。 ほたるの抱きしめる手に、ポタポタと涙が落ちた。それは紛れも無く幸村のものだ。 「どうしたの?」 「ごめ…なさ…っ…ごめ……」 ほたるの仕事着に、どんどんと涙の染みが出来ていく。 ほたるは一瞬戸惑った。 今まで、これ程泣いている幸村を見たことは無い。 しかし、ふと思い当って、その戸惑いも消える。 先刻隣から聞こえた、聞き慣れないヤケに大きく響いた男の声。 「和紗」 ほたるは静かに、隣の部屋で用意をしている小姓の一人を呼んだ。 隣の続きの間でほたるの仕事の用意をしていたのだから、幸村が部屋へ入って来たのは知っているだろう。 「客、あっちで待たせといて」 「…畏まりました」 「美古都」 「はい」 「隣の部屋、誰かいるか見てきて」 「分かりました」 暇なのに飽きてきたほたるは李蝶に倣ってこれから客をとる筈だったが、幸村を一人には出来ず、小姓の一人にはの方へ、そしてもう一人には思い当る節を確認する為に隣の部屋へと行かせた。 「幸村」 ほたるは優しく幸村に話しかける。 しかし、幸村は何の反応もしない。ひたすら、涙を流していた。 嗚咽をも押し殺し、何かに必死に縋りついている様なその様子。 「ほたる様」 「ん?」 「誰もいらっしゃいません」 「分かった、ありがと。和紗の所へ行って、適当に誰か探して客の相手してもらっといて。もしかしたら俺行けないかも」 「畏まりました。…あの…」 「何?」 「幸村様の部屋には誰もいらっしゃらなかったのですが、その代わりこれが」 不安げな面持ちで手に持っていた物をほたるへと差し出した。 金色に輝きを放ち、赤い石で繊細に作られている蝶飾りのあるそれ。 「簪?」 「はい。下に落ちてました」 「…分かった。そこに置いといて」 「はい。それでは…」 静かに襖を閉めて、小姓は部屋から遠ざかった。 皆仕事で部屋からは出払っている為、部屋はシンと静まり返り、廊下からも物音1つしない。 部屋の中は、幸村の押し殺す嗚咽が聞こえるのみ。 「幸村…」 もう一度声をかけるが、抱きついて何の反応も示さない幸村に、ほたるは幸村が落ち着くのを待って視線を簪へ向けた。 赤い石で彫られた色鮮やかな蝶が舞うように付けられ、外からの明かりで金色の光を放つ簪はとても綺麗だ。 でも、幸村が自分でこんな物を買うとは思えない。誰かに貰った物なのだろうか。 それでも、『落ちてる』のはおかしいだろう。 でも、美古都は『落ちていた』と言った。 何で落ちてた? 何で幸村は泣いてる? 不可思議な点が多い。 でも、これだけは分かる。 幸村の部屋で、『何か』あった。 じゃあ一体何があったのか。 どう考えても、ほたるには分からない事だらけだった。 だったら、この疑問を晴らす事の出来る人物は一人だけ。 先刻まで幸村の部屋にいただろう男だ。 それにしても、何処かで聞いた事がある声だった気がする。 イツ。 ドコデ聞イタ? 段々と、何かが繋がりそうな気がしてきているのに、一本の紐はブツブツと切れてしまっている。 抜け落ちた部分を思い出せば、きっと繋がるのに。 「…幸村?」 考え込んだほたるは、ふと幸村の泣きじゃくる声が治まったのに気付いた。 落ち着いたのかとも思ったが、そうではない。 押し殺す様な泣き声の代わり、聞こえるのはか細い幸村の、何かを呟く声。 耳を澄ませばやっと分かる位の小さな声で―― 『ごめんなさい』 『ゴメンナサイ』 ――と。 「幸村っ!?」 縋り付いていた手は、ほたるが引き剥がす様に肩を抱けばすぐに力無くだらん、と腕は畳を擦った。 嫌な思いが、ほたるの頭を駆け巡る。 浅い息はそのままで、でも途切れ途切れにはっきりと発音されない声は、何に対してのモノなのか。 どうすれば良いのか分からない。 こんな幸村は知らない。 瞳は焦点を失い、呟く言葉はただ同じ言葉を繰り返すのみ。 感情も何も無いその言葉や口調は、まるで一つの事しか言えない人形の様だ。 幸村の体温が段々と低くなっていく。 腕の中の人物が生きている気さえしなくなっている。 「和紗!美古都っ…!…誰かっ!!」 ほたるは慌てて叫ぶように人を呼んだ。 まるで知らない人を抱きかかえられているような錯覚さえ起こしたほたるが何も対処のし様が無く幸村を抱きかかえていると、ほたるの声に気付いた者達が見世の方から走ってくるいくつかの足音が聞こえた。 「ほたる様っ!どうしたんですか・・っ・・幸村様…?」 閉められていた障子が勢いよく力任せに開けられ、一番初めに入って来たのは和紗だった。 そしてその後に続いて入って来たのは美古都と烙葉と梨蓮。そして… 「ほたる、どうした!?」 「幸村が…どうしよう楼主…!」 |
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