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番外編 月明かりの降る下で

「ん?幸?」
月明かりに照らされた、中庭に面した廊下で、李蝶は幸村の姿を見つけた。
薄い着物を襦袢の上に羽織り、ぼんやりと月を眺めている。
その様子は何処か神秘的な物がある。
片隅の闇に飲み込まれそうになりながら、しかし月明かりに照らされて淡く自らが光を持っている様にも見えるそれ。
時折、優しい風が長い髪をふわりと弄んでは去って行く。
何処か泣きそうな表情を浮かべている幸村に、李蝶は一瞬声をかけるのを躊躇った。
「幸村」
「あ…」
李蝶が声をかけると、幸村は少し慌てた様に顔を上げ、しかしすぐに李蝶から顔を背ける。
「幸村、どうした?」
「ごめん…何でも無いよ」
そう言いながらも幸村は李蝶の方を向こうとはしない。
でも、李蝶には大体の予想はついた。
幸村の『それ』は、今日が初めての事では無かった。
月の綺麗な夜。
時折幸村は縁側に座って月を眺めては静かに涙を流しているのを、李蝶は知っていた。
否、多分、それを知っているのは李蝶だけではない。
恐らく、不知火や葎やほたるも知っている。
何かを思って泣いている幸村に声をかける事は、今まで誰も出来ないでいた。
それでも、今は敢えて李蝶は幸村の隣に座る。
何となく、いつまでも一人でいさせてはいけない気がしたから。
「よっ、と」
「…李…蝶?」
幸村の隣にすとん、と腰を下ろした李蝶は、すっと幸村を自分の方へ抱き寄せた。
向き合ってなんて李蝶自身も恥ずかしいから、自分の肩越しに抱き寄せて、幸村の目元をそっと手で隠す。
「なに…?」
「泣きたいだけ泣けよ。そうすれば少しは楽になるんだろ?」
「…泣かないよ」
「あっそ」
幸村の強がり。
それを強がりと分かっていながら、李蝶は幸村の目元を隠していた手をぱっと離す。
しかし、李蝶は幸村の顔を見るなり、ふんわりと笑った。
「そんな赤い目して泣かないも何も無いだろ。こんな時位泣いて良いんだよ。泣いて、すっきりしたら、強がりでも何でも聞いてやる」
「…泣かない」
そう言う李蝶の言葉を聞いても、幸村は引かず、素直にはならない。
何処か意固地になっているのかもしれない。
泣いている所を見られたくないのかもしれない。
でも、顔を上げられないでいる幸村を見る李蝶は、ふぅ、と溜息を吐いて、腕を後ろに付いて体重を掛け、月を見上げた。
丸い大きな月だ。
でも、満月ではない。
満月までは後3日と云った所だろうか。
自ら光を放つ事の出来ない月は、太陽の光を反射して淡い光を此処へ届けてくれる。
それは見る者の心境によっては、違った印象を与える。
欲情的に。
神秘的に。
自虐的に。
加虐的に。
様々な顔を見せる月は、どんな風に見えるにしろ、綺麗で儚いものだ。
そんな月を見上げて泣く理由なんて、それ程多くは無い。
「…好きになるって辛いよなぁ」
「・・・」
「好きになっても気付いて貰えなかったりする時もあるよな」
「…何が言いたいの?」
「んー、何が言いたいってわけでもねぇけど、ま、聞き流してくれて良いから」
そう言うと、幸村をちらっと横目で見て、また月へと視線を戻し、口を開く。
「でも一番辛いのはアレだ。お互い好きだって分かってんのに一緒に居れないってやつ。側にもいられないのは辛いだろうなぁ。結局最悪な事にしかならねぇだろうし」
「…ふ…」
不意に漏れた幸村の嗚咽に、李蝶はそちらを見ずに再びそっと幸村の目元を手で隠して抱き寄せる。
ごく当たり前の様に、それをされて、でも幸村は今度はそれを拒否する事は出来なかった。
「辛いよな。泣きたい時は泣いても良いって誰も教えてくれなかったら、一人で泣くしかないもんな」
「…な…でほっといてくれな、の…」
嗚咽と共に漏らす言葉は途切れ途切れで、でも何が言いたいのかは分かる。
「だから、さっきも言っただろ。泣きたい時に泣いて良いんだって。溜め込むなよ」
李蝶の手が、幸村の涙で濡れる。

月を見る度に、サスケと居た頃を思い出す。
一緒に月見をした。
夜桜を皆で見に行って、二人で抜け出して、サスケが教えてくれた場所で月を背景にした夜桜を楽しんだ。
月には兎がいるんだって話を笑いながらした。
初めてサスケに抱かれた時、月がとても綺麗だった。
二人で見た月は、いつも希望に満ちていた。

月は残虐だ。
ここに来て月を見ると、どうしても二人で居た時の事を思ってしまって、意に反して涙が溢れた。
今まで誰も、『泣いても』良いなんて教えてくれなかった。
『泣けば』良いと言われた事はあったけれど、いい年して、と言われるのがイヤで、痩せ我慢でも良いから、自分で泣く事を拒否していた。
だから、李蝶のその言葉にふいを突かれたのかもしれない。
「李蝶…ごめ、なさい…」
「ん?」
「ごめん…」
「ン。俺はいつでもお前の側にいてやるから、泣きたい時があったら俺の所においで。付き合ってやるよ」
そう言う李蝶の口調はとても穏やかで、優しい。
もし、自分が好きになった相手が李蝶なら、どんなに良かっただろう。
幸村は、李蝶の本名をまだ知らない。
でも、もし知ってしまったら。
そこまで考えて、幸村はその考えを止めた。
人間は弱った時、自分に優しくしてくれる人に好意を持ち、それを『好き』だと勘違いする事が多い。
花魁が自分の本名を相手に教える事は、互いの関係に絶対の信頼がある時のみ。
李蝶達はきっと、『幸村』と云う名前を、それが本名だとは思っていないだろう。
花魁には源氏名を付けるのが通。
もし幸村がそれを誰かに話す時がくるとしたら、それが李蝶だと良いと思う。

「幸、こっち向いて」
ふいにふわ、と、幸村の体温よりも少し冷たい李蝶の手が幸村の頬を包んだ。
それに心地よさを感じたとほぼ同時に、幸村の額に李蝶のキスが落とされる。
「元気になるおまじない」
にっこりといつもの笑顔で笑いかけてくる李蝶に、まだ涙を浮かべていた幸村がつられて笑う。
何だか、李蝶のそれで、本当に元気が出るような気がした。
「さて、そろそろ寝るか。明日も仕事だーっ」
「李蝶っ」
「んー?」
立ち上がって背筋を伸ばす李蝶に声をかけると、伸びをしたまま返事を返してくる。
それでも、それが幸村にとっては何故か嬉しかった。
「ありがと」
「どーいたしまして。幸、今日は一緒に寝るか?」
何か楽しい事を思いついた子どもの様な表情を浮かべてそう言って手を差し伸べて来る李蝶に、幸村はその手を受ける。
「うん」
何だか、さっきまであんなに辛かったのが嘘の様で。
笑顔が自然に零れる。
思考が『軽い』。
月が綺麗に見える。
二人は他愛無い話をしながら、同じ部屋へと入って行った。


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