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番外編:白銀に鳴く禽   宛.柚姫様

「葎何処ー?葎ー?」
まだ街も桜楼閣も眠りについて静まり返っている、まだ陽も昇りきらない早朝に、幸村は楼主である葎を探していた。
人気の無い廊下を、小声で葎の名を呼びながら探す幸村の目の前に広がる景色は、まるで世界が色を無くした様に白い。
果てしなく広がるのは少しまだ残る月明かりとも、目覚めを知らせる朝日ともつかない光を薄く反射している銀景色。
羽織を重ねていながら、それでもそこは凍える様に寒い。
吐く息は白く、息を吐く度にそれは軌跡を残して宙に分散する。
もうすぐ師走に足を入れようとしている本土にとっては、例年よりも遥かに早く、そして深い積雪だった。
何故幸村がこんな時間に葎を探しているのかはとても簡単な事。
葎に『朝方に部屋まで来い』と呼ばれたからだ。
しかし、葎の仕事部屋へ行くとその部屋の主は居らず、葎の自室へ行ってもそこにも葎はいなかった。
残っていたのは、葎が寝ていたのだろう布団だけ。
部屋の中は暖かいのにその布団はすでに冷たく、恐らく葎がその布団から出たのはかなり前だろう。
まだ眠い幸村は目を擦りながら、しかしその寒さ故に透き通る空気を吸えば、段々と目が覚めてくる。
綺麗な景色だ。
春にはピンクの花を満開にさせる桜の木が、今は枯れ木となって雪をその枝々に乗せている。
時折何処からとも無く運ばれてくる風は粉雪を宙に舞わせ、遠くでは小さく鳴く鳥の声。
「もう。葎ってば何処行ったんだろ…」
いくらなんでも、見世中を探さなければならないなんて事はないだろうと思い、葎の行きそうな場所をもうかなり探したが葎は一向に見付からない。
葎はこの建物の中にいるのだろうかと云う疑問さえ持ち始めた頃、もしかしたら部屋に戻っているかもしれないと思い直して踵を返した時、幸村はふとある物に目が行った。
それは、とても不思議な光景だった。
真っ白い景色の中で、そこだけが淡く淡く色をつけ、花びらを綻ばせているそれ。
「…桜?」
この寒い中、しかも真冬の今、桜を見るなんて、あり得ない。
幻覚でも見ているのだろうか。
じっとそちらを見つめるが、やはりそれはそこにちゃんとあって、色を付けている。
幸村はそっと廊下から下へと降り、草履を引っ掛けて、誰も足を踏み入れていない雪の上に足跡をつけていく。
まだ降り立てのそれは、柔らかい。
ゆっくりと近付いて行くと、それはやっぱりちゃんとそこにある。
春に咲いているピンクの桜よりは色がかなり薄いけれど、どこからどう見ても桜だった。
暫くの沈黙。
足元の冷たさや、肌を刺す寒さを忘れ、その真冬の桜に幸村は魅入っていた。
白がほんのりピンクを注した様な淡い色で、中にはまだ蕾のものもある。
花を綻ばせているものでも、それはまだ固そうだ。
どれ位そうしていただろうか。
一人で時間を忘れていた幸村に、ふいに後ろからの声がかけられた。
「幸村?」
そっと名を呼ばれ、幸村は金縛りが解けたかのようにはっと後ろを振り返る。
するとそこには、探していた人物がいた。
「どうしたんだそんな所で。風邪ひくぞ」
「葎こそ何処行ってたの?ずっと探してたのに」
「悪い。仕事で『奥』に入ってたんだ」
奥。葎が一人で仕事をする時に入る、部屋の奥のそのまた奥の部屋。
その部屋には葎以外、神楽でさえ入る事を許されてはいない。
そこは厚い壁に阻まれている為、葎がそちらにいるなんて全く気付かなかった。
「そうなんだ。ま、良いけど。ねえ、それより」
桜の元から葎のいる廊下の方へと戻り、草履を適当に脱ぎ捨てる。
先刻までは葎を探すのに必死だったのに、今はそんな事よりも目の前のあの光景が気になって仕方無い。
幸村はすっと視線を白銀の中のそれに移した。
「あれ、何?」
「あれ?…ああ、あれか」
幸村のその問いに葎は一度首を傾げたが、それを視界に捕らえて納得したかのように笑う。
「珍しいだろ?冬桜だ」
「冬でも咲くの?」
「あれは冬だから咲くんだ。もう少ししたら満開になる」
「冬桜…」
幸村はぽつりと呟くと、ふわりと優しい笑顔を溢した。
葎もそれにつられて笑顔が溢れる。
寒いこの時期の、季節はずれにも思える桜。
また幸村は魅入る様にそちらを見つめていると、ふんわりと暖かい物が幸村の肩にかけられた。
「風邪ひくぞ」
それは、葎が着ていた羽織だった。
葎の体温をまだそのまま残しているそれは暖かく、何処か安心出来るその温度。
「ありがと」
「ん。部屋、戻るか」
「うん」
寒い廊下に、いつまでも居るつもりは無かった。
それに、それこそ華奢な体をした幸村に風邪でもひかれたら困る。
葎は促す様に幸村の肩に腕を回すと、まだ名残惜しそうにしている幸村を連れて部屋へと戻って行った。


・・・‥‥‥………―――――

「…寒い」
肩には先刻葎にかけてもらった羽織をそのままかけて、火の傍にいる幸村がそう呟く。
すると葎は、はぁ、と盛大にため息を漏らした。
「あんな所にずっと立ってるからだろ。どんだけあそこに居たんだ?」
「分かんない。桜見てて、葎に声かけられるまでずっと、かな?」
芯から冷え切ってしまっていた幸村は、葎よりも火の傍にいてさえ、寒いと言う。
他の何処よりも暖かくしてあるこの部屋は、本来ならば心地良いはずなのに。
このままでは、風邪をひいてしまうかもしれない。
そう思った葎は、仕方なく火に更に炭をくべ、羽織をもう一枚幸村にかけてやる。
そこは自分にとっては熱い位まで温度が上がるが、幸村の頬を触れば、まだ凍るように冷たい。
「大丈夫か?」
「ん、大丈夫。ありがと」
笑顔を向けてくる幸村に、あらぬ感情が鎌首を擡げてくる。
嫌な男の性だ。
時折儚い笑顔を見せる幸村。
そんな幸村を、何度抱き締めそうになっただろう。
こんな時でさえ、出来る事なら、と思ってしまう。
でも、この感情が芽生えたのは幸村が花魁になる前の事。
初めて出会った時、それは既にあったのだと思う。
赦され無い感情。
『和』の時の様に、幸福になれなくても良い。
それでも、たった一刻だけでも、幸せを味わいたい。
もう二度とこんな感情を、叶わぬ相手に抱く事は無いから。
そう思ったら、葎は自分を止められなかった。
「…暖まる事、するか?」
「暖まる事?」
「そ。いつもやってるだろ?お前と、客が」
妖しくにやりと笑う葎に、幸村は戸惑う。
確かに、運動をする事とさして変わらない位の体力を使うそれは温まるだろうけれど、それをするには気が引けた。
相手が嫌なわけではない。
むしろ、もう既に一度肌を重ねた相手なのだから、嫌なんて感情は全く無かった。
しかし…
「でも神楽さんにバレたら…」
「バレなきゃ良いんだろ。まだアイツならまだ当分自室で寝てる」
「でも…っ」
「俺とするのが嫌か?」
「嫌…じゃない…」
「なら、俺に任せとけば良い」
ゆっくりと、葎は幸村を冷たくなってしまっている布団へと押し倒す。
葎からの熱いキスに、翻弄されていく。
「幸村」
「ン…っ」
吐息に近い声で甘く囁かれるバリトンは心地良くて、体の芯まで響いてくる。
くちゅ、とどちらのものともつかない音が、静かな部屋に木霊した。
ひんやりと冷たい筈の布団は、冷たくは感じなかった。
布団と同じ位まで自分の体が冷えてしまっているからかもしれない。
布団と自分の着物とが摺れる音と、葎にかけられた羽織がぱさ、と滑り落ちる音。
そして、自分の着物の帯が解かれていく衣擦れの音。
それはいつも『仕事』で慣れている筈の行為なのに、何故か音を聞くのさえとても恥ずかしい。
相手が、いつもと違うからかもしれない。
それとも、『葎だから』だろうか。
葎から与えられるキスは心地良くて、触れられる所が段々と熱を帯びていく。
幸村は頭の中の思考回路が途切れていくのを感じた。




――――………‥‥‥・・・



「あっ…ぁ…りつ…」
「幸村」
「ヤメ…そんな事、しないで…っ」
自分の中心に、葎が顔を埋めているその光景はとても卑猥で、堪えられない。
それと同時に与えられる快楽。
アナルに感じるのは、葎の指と、湿った舌の感触だった。
「ヤぁ…っ、ンんっ…あ…」
指を2本、幸村のアナルに突き立てて無理矢理広げ、舌を中へと入れて濡らしていく。
唾液と、幸村自身から溢れてくるそこはもうベタベタで、葎の愛撫を促す様にひくひくと誘っていた。
「こんな事されるのも初めてじゃないだろ?」
葎の声は冷静で、しかし何処か笑いを含んでいる気がする。
自分の乱れているその姿を見るのを、楽しんでいる時のそれだった。
わざと卑猥な音を立てながら、葎は幸村の理性も忍耐も何もかもを何処までも犯していく。
「汚…い、からっ、も…ヤメ」
「汚くないよ、お前のココなら」
そう言いながら、更に舌は幸村の後口を犯し、解していく。
そんな事をしなくても、むしろ前戯をしなくても裂ける事は無い位に散々仕事で慣らされている身体は、只単に幸村の羞恥心を煽るものでしかない。
昨夜だって、幸村は客に抱かれていた。
それでも、葎は指を、舌を、奥へと更に押し進めていく。
「ンんっ!!っ…ヤッ、ヤだ…そこっ」
グッ、と指で一点を刺激された時、幸村の体がビクビクと跳ね上がった。
探り当てた前立腺を捏ねる様に執拗に押して幸村を狂わせる。
快楽は時にある種の凶器と化す事を、葎は知っていた。
「ココが良いのか?」
「ヤだ…ヒ…ッ、ァっ」
分かっているくせに、葎は何処までも幸村の羞恥心を煽るつもりらしい。
グリグリと刺激されるそれは、頭がどうにかなってしまいそうな位、何もかもが真っ白になっていく。
目の前が真っ白になりそうな程の快楽は、いっそ本物の凶器を突きつけられている様でしかない。
「も…良いからっ、挿入てよ…り、つっ」
紡ぐ言葉は必死で、どうにかその『狂気的な快楽』から逃れる最後の術だ。
「良いよ、お前がそう望むなら」
くす、と笑う葎の声が、もうあまりはっきりとは聞えない。
自分の喘ぎ声だけが、頭の中に響いてくる。
「行くぞ」
「んぁあっ…!苦し…っ、ぁ…は…っひぅ」
その声と共に、葎は自身を幸村の中へと押し進めていった。
どれだけ男に抱かれていても、幸村のそこは解した所で狭い。
「…っ」
葎の整った顔が、快楽とその狭さに妖しく歪む。
ゆっくりと、しかし強く押し進め、葎のそれは幸村の中へと飲み込まれていく。
一番太い部分が入ってくるのは幸村も苦しくて、しかしズブズブと内へと入ってくるその感覚と、内から感じる葎自身の熱さに喘ぐ。
やっと全てを幸村の中へと収めるのとほぼ同時に、葎は動き始めた。
「大丈夫か…?」
「だいじょ、ぶ…スゴ…いよ…おっき…ンぁあっ!」
抉る様に、中をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられるその感覚。
ぐちゅぐちゅと盛大に、葎と自分との接合部からは卑猥な水音が聞える。
耳までも犯され、葎のその大きさに、体が悲鳴を上げていた。
苦しいのに気持ち良くて、ダメだと分かっているのにそのまま自分を今だけでも『その人のモノ』にして欲しい。
矛盾したその感情が入り混じって、おかしくなってしまいそうだ。
セックスなんて、今までどれだけでもしてきたのに、葎とのセックスだけは、どうしてもそれらと一緒とは言い切れない。
「ふぁ…っ、苦し…もっと…もっとぉ」
自分でも、矛盾していると分かっているのに、考えるより先に言葉が出てしまう。
もっと、もっととうわ言の様に繰り返す幸村に、葎は幸村を更に追い詰めていく。
自分の下で喘ぐ幸村はとても卑猥で、綺麗だ。
淫猥で恍惚とした表情は、誰の視線をも惹き付ける。
何処までも狂ってしまえ。そんな恐ろしい感情さえ、芽生えてしまいそうな位、葎はその瞬間を楽しんでいた。
「り…つ、イかせて…っイっちゃ…」
「一緒に、イこうか?」
「ン…ぁ、葎…ふ…ンんっ!!」
「――っ!」
張り詰めていた熱い塊がドクン、と中で熱く弾ける感覚と、自分の精を放つ開放感と快楽の絶頂。
尾を引く狂気的快楽に、幸村は声を殺し、狂ってしまいそうな快楽を少しでも和らげようと葎の着物を掴むその手は、握り過ぎて白い位だ。
しかし、突然葎に抱き締められ、幸村は驚いてその手をぱっと離してしまう。
「…な…に?」
「幸村…っ」
先刻まで自分の下で喘いでいた幸村を、葎はぎゅっと抱きしめる。
その葎の行動に、幸村は戸惑うしかない。
「ど…したの?葎。僕、何かした…?」
荒い息を繰り返しながら、しかし葎のその行動の意図が掴めない。
抱き締められて葎の顔は見えないけれど、何処か葎が泣いている気がして。
「何で俺はお前をここの花魁になんてしちまったんだろうな…」
「…え?」
ぽつりと呟かれたその言葉は、幸村にまでは届かなかった様だ。
幸村は聞き返すが、それは空虚の闇へと消える。


聞かれてはいけない言葉。
表に出してはいけない感情。
バレてはいけないその思い。
そんなものならば、いっそ感情ごと捨ててしまえば良い。
自分には、生涯決めた相手がいただろう。


そう、自分に言い聞かせる。
この先を考えただけでも、葎は気分が沈んだ。
涙が溢れる、とまではいかない。
けれど、幸村が誰かの許へ行ってしまう日が来る事なんて、考えたくはなかった。
楼主として、自分の楼閣の花魁を送り出してやるのは自分の務めだとは分かっているけれど、どうしても幸村だけは手放したくない。
いつまでも、自分の腕の中に入れておきたい。
例え、何処かへ監禁してでも。
でも、そんな事が赦される筈が無い。
「…いや、何でもない。ごめんな」
「え…?…ヤッ」
無理矢理笑顔を作り、葎は幸村のペニスをすっと撫でる。
幸村が今度は困った様な顔をしたが、葎のその愛撫に高揚した表情へと変わった。
幸村をこんな淫乱な体にしたのは、客という肩書きの、自分以外の男達だ。
そう思うと、今は全てを捨て去って、自分が幸村を誰よりも快くしてやりたい。
「葎…っり…つ、ンっ・・ャ…ヤぁあっ!ダメ・・・ヤだ・・」
吸い付く様にその幸村の肌にキスを落とし、段々と下へ。
そうして葎が辿り着いたのは、幸村の中心。
蜜を溢れ出していたそれをねっとりと口で愛撫してやれば、幸村の体がビクビクと跳ねる。
「ヤメて…っ、り…つ…」
そんな事しないで。
そう、幸村は繰り返す。
何かを、はぐらかされた気がする。
しかし、一度達って敏感になっている体には、そんな抵抗は、自分でも快楽を止めるなんて出来ない。
「何で?嫌いか?」
「そうじゃ…ナイ、ケドっ」
「なら、そのまま感じとけ」
ぴちゃぴちゃとわざと音を立てて、幸村を追い詰めていく。
ゆっくりと、右手は幸村の後口へ。
床技だけは、葎は誰にも負ける気がしなかった。
こんな所で生まれ育ったからだと云ってしまえばそこまでだ。
しかし経験でも知識でも、相手が男であろうと女であろうと人並み以上にはある。
例え経験豊富な花魁達でさえ、無心で喘がせてやる。
それでも、左手だけは、幸村と自分を繋ぎとめていた。
互いの左手が、指が、どちらともなく絡み合う。
「ヒっ…り、つ…また…イッちゃう…っ」
グリ、と一際強く、前立腺を刺激してやると、幸村は引きつる様に涙を流した。
「イけ。好きなだけ」
「ンん…っあ――っ」
口で幸村自身をきつく吸い上げ、時折それを止め、前立腺を刺激して緩急をつけてやれば、幸村は白濁を放つ。
数回ビクビクと体が跳ね、幸村の体から力が抜けるのが分かった。
荒い息を繰り返しながら、宙を視線が彷徨っている。
「は…っ、はぁ…は…」
「ヨかっただろ?」
「ん…。でも…」
素直に頷く幸村だが、しかし何かを言いかけてそれを止めた。
何を言いかけたのか、葎は分からない。
「でも?」
「…誰を…見てる…の?」
その言葉に、葎はぎくりと冷や汗を流す。
「はっ…何言って…」
「僕の事、見てくれてないよね…?誰を…見てるの?」


聞かれてはいけない言葉。
表に出してはいけない感情。
バレてはいけないその思い。
そんなものならば、いっそ感情ごと捨ててしまえば良い。
自分には、生涯決めた相手がいただろう。


血の気が引く気がした。
ここで、バレてはいけない。
楼主と花魁との色恋沙汰は、全て花魁の色目とみなされ、花魁はひとしきりの折檻を受けた後、楼閣を追放される。
きっと幸村にバレれば、勘の鋭い神楽にだって、バレてしまうだろう。
もしかしたら神楽にはもうバレているのかもしれないけれど、こんな行為まではバレるわけにはいかなかった。
葎は笑顔を取り繕って笑う。
「何言ってんだよ、そんなわけないだろ?」
「本当に…?」
葎のあの目は、何かを隠している。
そう思うけれど、幸村は一度じっと葎の目を見詰め、にっこりと笑った。
隠している事を、無理矢理聞き出す気は無い。
葎が隠そうとしているのだから、きっと何か事情があるのだろう。
そう、幸村は理解した。
「そっか。じゃあ、僕の気のせいかな。ごめんね、変な事言って」
「いや…」
後味の悪そうな葎に、幸村はぎゅっと抱き付いた。
今度は、葎が驚く番だ。
「どうした?」
「んーん、何でも無いよ」
そういう幸村の、葎に抱き付く腕に更に力が篭る。
まるでそれは母親が子供を抱く様な心地良さが伝わってきた。
その心地良さに惹かれ、葎も幸村の背に腕を回す。
幸せな一刻。
叶わない恋だと分かっているけれど、この一刻の幸せを逃したくなかった。


暫くそうして互いの体温を感じた後、二人は布団にごろん、と寝転がり、天井を見上げた。
楼閣の最上階なのに、そこは見世の天井よりも高い。
開放感のあるそこは広いのに、しかし何処か落ち着いた感じがする。
二人はそんな天井を見ながら、くすくす笑いながら、どちらとも無く他愛無い話を繰り返す。
何で葎がこんな朝早くに幸村を呼び出したのかを幸村が葎に問うと、葎は笑って『朝一番にお前の顔が見たかった』と、悪戯っ子の様な笑みで返してきた。
そんな話をしていると、ふと何かを思い出したように、葎が話を切り出した。
「そう云えば幸村」
「ん?」
「見世にも桜があるの、気付かなかったのか?」
「見世?」
この時期に桜なんて、今日見た冬桜が初めてだったのに、中で桜なんて尚更見た記憶が無い。
幸村は不思議そうに小首を傾げると、葎はクスクス笑った。
「見世の方の部屋の居間に鉢植えがあるだろ。あれ、桜だぞ?」
「あれが桜!?」
桜と言えば、春に綺麗なピンクの花を咲かせる大木。
そんなイメージだった幸村は、鉢植えに咲くなんて信じられなかった。
しかし、確かに居間にはそれ程背丈の高くは無い花が、満開になっているのは知っている。
何本もの枝がまとまって、一つの株を作っているそれ。
「啓翁桜ってんだよ。毎年取り寄せて居間に入れてるんだ」
葎が起き上がり、布団の上にあった煙管盆を引き寄せて煙管に薬を詰めながらそう言うと、幸村はまた不思議そうにしながら葎を見た。
「冬に咲く桜ってそんなに一杯あるの?」
「ああ。知らないだけで、結構冬に咲く桜ってのも多いからな。今度、一緒に見に行くか?」
「行くっ!」
「うわっ!」
幸村は、その言葉に満面の笑みを浮かべ、葎に勢いよく抱きついた。
葎は咄嗟に幸村を支えはしたものの、危うく火を入れていた煙管を落としそうになる。
でも、そんな幸村が、葎は愛しい。
言葉に表してはいけない事だと分かっている。
誰かに知られてもいけない。
けれど、思うだけなら自分の自由だから。
この思いは伝わらなくても良い。
結ばぬ恋の、楽しい一刻。
それが、今の葎にとっての至福だった―――


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