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第2幕弐話 咲かぬ桜に恋焦がれ

「ちょっと話、あるんだケド」
開け放った障子を隔て、廊下に立っていたほたるは幸村の背中に声をかけた。
足元を邪魔する着物が鬱陶しくて時折それを足で掃ってみたりするが、少し歩くとまたすぐに元に戻ってしまって、結局は同じ事なので掃うのを途中でやめる。
「良いよ、ちょっと待ってて」
目を擦りながら、ほたるは幸村が指示を出し終えるのを待つ。
着物は寝乱れ、しかしそれでも申し訳程度には整っている。
外は段々と明るくなり始めて、外では花魁の明るい、しかし慎ましやかな声が微かにだが聞こえる。
この時間は、大抵外へ客を見送りに行く花魁が多い。
だるい体を無理矢理起こして、それでも笑顔で客を見送る。
まだ薄く残っている月が、段々とその存在を太陽に明け渡そうとしている。
そんな、いつもと変わらぬ朝方。
他の客よりはいつも早く帰る狂は、今日も例外なく他の客より先に帰って行った。
そして今、そんな狂が申し出た身請け話を頭の中でぐるぐる渦巻かせながら、次の客の用意をしている自分が、何故かとても不思議に感じてならない。
いつもならそんな事は思わないのに、どうしてだか、いつもと空気が違って感じる。
「ごめんね、何だった?」
座敷の用意を終わらせ、幸村は、待たされ疲れて廊下に座り込んでいるほたるの横に、自分も座り込んだ。
この時間は客が通ることも滅多にないし、仮に通ったとしてもそこを通るのに支障はない。
桜楼閣の廊下は、無駄に広い。
手摺が朱塗りで、手摺の向こうには庭園が広がっている。
そこで茶を嗜む事が出来る様に御座が敷かれ、傘がさされている。勿論、茶を点てるのは花魁だ。それ位の教養は、勿論身に付けていた。
廊下はといえば、黒檀塗で綺麗に磨かれ、手摺共に光を放っている。その漆黒が、手摺の朱と、花魁の衣装を品良く映えさせている。
「今日来た人…」
「誰?」
「あの真っ黒い人」
「狂さん?」
「うん。その人が楼主に明日2人を侍らせて何とかって言ってた」
薄い満月を見たまま、ほたるは何事も無い様に、先刻少し耳にした話をしてみる。
それに対して幸村は、きょとんとして首を傾げた。
「二人?」
「俺と、幸村」
再び眠そうに目を擦り、重そうな瞼が段々と瞳を隠しそうにしながら、ほたるは言う。
「三人で…って事?」
幸村は目を見開き、驚いた様にほたるに問う。
しかし、ほたるは首を傾げる。
「さぁ。そこまでは聞いてなかった」
相変わらず何処か抜けている感じのほたるだが、客に言わせれば、その抜けている所もまた良いらしい。
まぁ、それを幸村もほたるの個性と受取ってしまっているので、特に何も思わない。
「そっかぁ…狂さん、そんな事言ってたんだ」
段々と太陽は顔を出して、朝露の降りた庭園はキラキラと輝き出す。
そんな庭園を見ながら、幸村は、はぁ、と軽く溜息を吐いた。
この桜楼閣には色々な人が来る。
大抵は、金と時間を持て余した金持ちが多い。
若い客もいれば、そろそろ使い物にならなくなる頃じゃないのかと思う様な年齢の客もいる。
それでも、自分達を買いに来る客は、いつもここに来れば老若関係なく楽しそうに笑うのだ。
例え金で買った時間でも、それはその人達にとっては有意義な物になっているのだと思っている。
そんな幸村だから、今まで断わった客はいない。
上位を争う者達はある程度の融通が利くので、客を断わる事が可能だ。その場合は、もし客がそれを望むのであれば特別に他の花魁が相手をする。
しかし今、どうしても次の客の相手をしたくないという感情が脳を支配していっている。
体がだるい。
でもそれはいつもの事。
思い切りセックスをして、何度も貫かれ、楔を打ち付けられてイかせられた後はいつもこんな感じだ。
思考が働かない。
それもいつもの事。
まだ寝ていないからだ。この後少し寝れば、またいつもの自分に戻る。
『じゃあ何で?』
そんな事が、幸村を悩ませる。
今までこんな風に思う事は無かったのに。
「幸村、どうしたの?顔色悪い」
幸村に視線を移したほたるが、幸村の顔を見てそう言う。
多少人より鈍感なほたるが言うのだから、他の人から見ればかなり顔色が悪くなっているのだろう。
薄く開かれた唇から吐き出される息が、少し細い気がする。
「何でもないよ」
それでも、幸村は笑顔でほたるにそう返した。
多少の疲れはあるものの、この桜楼閣に来てからは栄養面もしっかり考えられ、幸村の為に食べやすい様にと料理長が作ってくれる料理を食べているお影で、体重も少しずつだが前の様に戻ってきていた。
まだ、『あの事』があった前の体重までは戻っていないが、それでも、ちゃんと食べれるし、眠れる。
「なら良いけど」
じっ、と幸村の顔を覗き込むように見ながら、ほたるはそれでも心配そうな顔をしている。
「あ、そうだっ!ねぇほたる」
「何?」
「今日一緒に寝よっかv」
「…は?」
ほたるらしくない、少し間の抜けた声を出してしまった。
それは幸村のせいなのだが、当の本人はにこにこと笑っている。
『思い立ったが吉日。』
最近の幸村の口癖だった気がする・・・。
そんな事を思いながら、ほたるは視線を少し彷徨わせて考え込む。
しかし、この場合の寝るは、『何』をして・・・というわけでは無いので、途中で考えるのが面倒臭くなったほたるは、良いよ、と返した。
「やったvじゃあ、僕の部屋行こ。僕もう眠くって」
弾む調子でそう言いながら、幸村は立ち上がり、ふぁ、と欠伸を一つ。
「ん・・・」
幸村と共に立ち上がったほたるは、幸村の部屋まで、着物を引き摺って歩いて行った。

「烙葉、梨蓮。悪いんだけど時間になったら起こして」
幾重かに重ねた重い着物を自分で脱ぎ、それを烙葉と梨蓮に渡しながら、幸村は言う。
どうも疲れ過ぎているせいか、いつもは自分で起きれるのに、今日は起きれる気がしない。
かと言って、いつも開寵ギリギリの時間まで寝ているほたるに頼るわけにもいかない。
ならば、小姓に起こしてもらうのが一番だ。
「分かりました。それまでに着物の方も用意しておきますね」
「ほたる様のも、用意してこちらに持ってきます。ちゃんと起きて下さいよ」
「ん・・・」
ほたるの小姓が、もう既に立ったまま半分夢の中に入り始めているほたるの着物を脱がせながらそう言う。
可愛らしい顔をしたほたる付きの二人の小姓は、幸村の小姓二人と何処か似ていた。
「ごめんね。おやすみv」
「おやすみ…」
「「おやすみなさい」」
一般的にはこの時間にその挨拶はおかしい、しかしここでは当たり前の挨拶をして、それぞれの小姓四人は、花魁二人がいる寝室から出て行った。

夢を見た。
とても懐かしい夢。
自分はまだ九度山にいて、十勇士と笑っている。
でも、笑っているのは『前の幸村』であって、今夢を見ている自分ではない。
自分は傍観者のようにそれを見ている。
皆が自分の目の前に来ても、自分は空気の様に見えていなくて、自分の中を通り過ぎていく。
その笑いの中には、サスケもいた。
まだ自分よりは身長の低いサスケ。
何かを幸村に言っている。
小助が籠の中に弁当を入れて、はしゃいでいる自分達の後を微笑みながらついてくる。
その横には、小助の手伝いをして、荷物をもっている才蔵。
花が一面に咲き、小鳥が遠くで囀っている。
懐かしい九度山の風景。
笑っているのは、前の幸村。
その幸村が、自分を振り返った。
そして、何かを言っている。
笑顔で、しかし悲しげな目で。
『過去は変えられない。変えら―――


――ら様、幸村様時間ですよ。起きて下さい」
「ん〜」
「幸村様!」
ガバッと布団を剥れ、幸村は薄っすらと目を開けた。
そんなに寝た気がしないのに、烙葉の後にある明かり取りの窓から少し見える空は、もう昼間のそれとは違った。
「おはよぉ〜」
寝惚け眼を擦り、幸村はのっそりと起き上がった。
先刻の夢は何だったのか、『前の幸村』は何かを言いかけていた。
はっきりとは聞き取れなかったが、似たニュアンスの言葉をいくつか寝惚けたままの脳内を巡らせてみる。
でも、所詮夢だ。
思い当る節はあったが、気のせいかもしれない。
「おはようございます。あ、ほたる様も起こして下さい」
烙葉が、幸村から剥ぎ取った掛け布団をテキパキと片付けながら、ほたるを見た。
幸村がふぁ、と欠伸をして視線を隣に向ければ、当然の如く、一緒に寝たほたるはまだ夢の中だ。
「和紗(かずさ)もおはようv」
「おはようございます、幸村様v」
ほたるの小姓の和紗に笑顔を向ける。
和紗は、どちらかと言えば幸村タイプの性格だ。
誰にでも馴染めるし、適応能力がある。明るくて人懐っこく、それでいて、何処か人を信頼しきっていない節がある。
ほたるにとって幸村は、猫の様に天真爛漫としている風があったのでどちらかといえば少し苦手な部類に入る。だから、それに似た和紗は多少苦手とするタイプなのだが、和紗だけは例外の様だ。
ほたるの面倒を嫌がらずに自ら進んでやる。
ほたるに憧れ、この桜楼閣に入った和羽は、ほたるの事が好きだった。
「あれ、梨蓮と美古都(みこと)は?」
それぞれほたると幸村の小姓一人ずつはいるが、いつも対の様に居るもう一人ずつがいない。
キョロ、と周りを見渡して、誰ともなしに幸村は聞いた。
「お二人のお食事を取りに行きましたよ」
烙葉が幸村の問いに答える。
「そっか。じゃあ、そろそろ起こさないとね」
ん〜、と立ち上がって伸びをする幸村は、ほたるをゆさゆさと揺すった。
寝肌蹴ている薄青の着物は、胸元が大きく開けてしまっているが、どうせ見ているのは男だけだし、所詮いつも一緒に居る小姓達だから気にしない。
「ほら、ほたる起きて。時間だよ」
「ン〜…後ちょっと・・・」
「ちょっとじゃないでしょ。遅くなっちゃうから!」
ばっ、と、先刻烙葉が幸村にしたように、幸村もほたるの布団を剥がす。
すると、ほたるはもぞもぞと動いて薄く目を開けた。
「何・・・まだ眠い…。幸村、布団返して」
「ダメ。また寝る気でしょ。早くしないとすぐに時間になっちゃうから起きて」
「あ、それ片付けちゃいますね」
幸村がほたるから剥がした布団を受取り、和紗はさっさとそれを片付ける。
まだしっかりとは開いていない目でぼーっと夢現でそれを見たほたるは、仕方なくむっくりと起き上がった。
「眠い…」
「昨日さっさと寝ないからだよ」
布団の上に座っているほたるに、幸村はほたるの隣に腰を屈める。
二人の様子は、まるで白百合が二輪…。
その辺の女よりも綺麗な顔立ちをした花魁は、化粧をしていなくても肌は綺麗な上、唇もふっくらとしていて、紅を差した様にはっきりと口元を引き締めている。
さすがこの桜楼閣のトップを争う二人だけはある。
二人のまとう雰囲気は、寝惚けた感じがあっても貫禄があった。
「ほら、目覚ましに行こ」
ほたるの手を引っ張って、幸村はほたるを立たせる。それでも眠そうにふらふらしているほたるを見て、幸村はむにっとほたるの両頬を引っ張った。
「ゆひふひゃ・・・いひゃい…」
「はい、少しは目、覚めたでしょ?」
ぱっと手を放され、引っ張られて薄く赤くなった頬をまた引っ張られない様に両手で覆い、少し涙目になっているほたるに、幸村はニッコリと小悪魔の様に笑う。
「さ、顔洗いに行こ」
何処かすっきりとした様子で、もう頭がしっかりと冴えてきている幸村はほたるを洗面所へと連れて行った。

目が覚めた花魁達は、まだ寝惚けている節がある者も居て、動きがのんびりとしている。
大浴場へ行って風呂に入る者もいれば、今日のスケジュールを確認している者、顔を洗って小姓達と談笑している者、話をしながら飯をのんびりと食べている者、やっている事は様々だ。
それぞれ客の来る時間が違い、それまでは何をしていても構わない。
今日のほたると幸村は、夜一で客がある。
それまでは多少の時間があった。
他の花魁に倣う様にのんびりと、梨蓮と美古都の運んで来てくれた膳の飯を胃へと流し込む。量が多いくせに、残すと料理長が煩いから、最後の方はいつも半分ヤケだ。
腹も膨れれば、次は着物…と行きたい所だが、食べたすぐ後で帯を締めるには、少しきつい。
「はぁ…何か食べるのに疲れちゃった」
「料理長、怒ると恐いから」
「の割に、ほたる残してない?人参」
「人参、嫌い…」
「そうなんだぁ。でも残すと料理長恐いよ?」
「なら幸村食べてよ」
「僕もう無理。何にも食べれないし」
そんな他愛無い会話を繰り返していると、小姓四人が、自分達も食事を終えて戻ってきた。
廊下にも多少二人の話が聞こえていたのか、クスクスと笑っている。
「好き嫌いは駄目ですよ、ほたる様」
「好き嫌いするとその内、内臓悪くしますよ」
和紗と美古都がそう言うと、ほたるは不貞腐れた様頬を膨らませた。
「ほら、さっさと食べちゃいなよ、ほたる」
膨らんだほたるの頬を、幸村が人差し指でツンツンと突付く。
それでも食べようとしないほたるに、幸村はほたるの箸を持つ。
「ハイ、あーんしてv」
さして大きくない、紅葉の形に切られた細かな細工の人参2つをほたるの口元まで持って行った。
すると、うっ・・と少しほたるの体が後に退く。
しかし、今の幸村はそこで止めてやるほど優しくなかった。
「ほら、食べないと料理長に言っちゃうよ?」
料理長は、恐い。
寧ろ恐いと言うよりも煩いのだが、この場合は恐いで十分だろう。
残すと、野菜の栄養についてやら、この野菜は何処何処の誰々が云々と、最低1時間はウンチクを聞かされる。
仕事があっても、構いはしない。
延々と説教。それが、料理長だ。
「う〜」
低く唸って上目遣いで幸村を見るが、そんな事で幸村が同様するわけが無い。
仕方なくほたるは、薄く口を開けた。
その隙に、幸村はほたるの口の中に人参を押し込む。
人参特有の野菜の甘さが口の中に広がって、それで口の中は一杯だ。
目に涙を浮かべる程嫌いな人参を嫌々そうに口を動かして、何とか飲み込もうとしている。
それを見た幸村は、満足気な笑みを浮かべて立ち上がった。
「良く出来ました。さてと。ほたる、そろそろ服着ないと時間無くなっちゃう」
「ん・・・」
ごくん、と人参を和紗に渡された水で流し込み、ほたるも立ち上がる。
これから仕事着で出陣、そんな気分だった。


「今日のお客様は『狂様』です」
「え、また狂さん?」
花魁衣装に着替えた幸村は、髪を結い上げ、簪でそれが崩れないて来ない様に止めた。
三面鏡を目の前にして、後には梨蓮が鏡を持って三面鏡にそれを映している。
初めの客を取る時は、きちんと髪を結い上げることになっているのだ。
花魁の複雑な髪結いは、毎回客ごとに結い上げ直せるほど楽ではない。
一度梳かれたら、その日はそれでその髪型は大抵終わりだ。
後は適当に、邪魔なら結び、そうでないのなら後に流したままにする。時間があれば、また結い直す花魁もいるが、そんな花魁はあまりいない。
鏡越しに烙葉を見た幸村は、不思議そうに訪ねるが、烙葉は本日渡された予約表と称した紙を元の様に折り畳むと、こくんと首を縦に振った。
二日続けての客は滅多にないので、何かの間違いかとも思ったがそうでは無い様だ。
「桜谷さんは?」
「さぁ…。あ、その代わり、今日はほたる様と一緒です」
「ほたると?…ああ、そういう事か」
最終の確認を終え、幸村は衣装の一番上に着る羽織を羽織る。
トップの花魁が二人。
よく楼主が許したなぁ、と思いながら、幸村は燭台の灯を、油を少し減らすことである程度まで落とした。
トップ二人を一人の人間につかせるという事は滅多にない。
他の、言ってしまえば上級争いにはさして関わっていない花魁を二人つけるのならまだしも、ほたると幸村両名を一人につけるのは稀だ。
「昨日ほたるが言ってた事、本当だったんだね」
「みたいですね。よく楼主様がお許しになられましたよ」
「そうだねぇ。葎の事だから、何かあるんじゃない?」
クス、と笑って、幸村は灯に油を再び点す。
灯を落として衣装チェックをした方が、変な所に影が無いか見るのには丁度良い。
大抵、客の前ではそれなりに灯は落とされている。
最終確認を終えた幸村は、口元を引き締めた。
「いってらっしゃいませ」
「今宵も『春』の訪れを」
幸村の後で、花魁への敬意を表す礼の姿勢を取った小姓達は、幸村を桜楼閣へと送り出した。


「狂さんいらっしゃいvV」
桜楼閣への入口の橋、通称『桜橋』と呼ばれる所まで狂を出迎えに来た二人は、狂の姿を捉えて歩み寄った。
この時間の桜橋は、桜楼への客と、それを迎える花魁で賑わっている。
陰間寵は、先刻開門されたばかりだ。
それでも、時間と金を持て余した人々は、挙ってやってくる。
そんな人たちで賑わっているここは、年中祭りの様に賑やかで、それぞれ目的の場所へと向うのだ。
桜楼閣へ続く広い橋の上には慎ましやかな花魁の声と、客の楽しげな声で埋め尽くされた。
「ねぇ狂ってさ、ホントは俺と幸村どっちが付く筈だったの?」
両手に花状態の狂に、左側にいたほたるがそう問いかける。
いつも通り俺様な狂は、そんなほたるに、今更、とでも言う様にふん、と鼻で笑った。
「さぁな」
謎の多いこの男は、こんな態度を取るのも今更で、家庭がある様には到底見えないが、それでいて女遊びを毎夜している風にも見えない。
陰間寵へはやってくるが、大体朝日が昇り切らない内に、何処かへと帰っていく。
自分の事をここまで話さない客も珍しく、それがほたると幸村の興味を引いていた一因だ。
「狂さんて秘密主義?」
「さぁな」
幸村の問いにも、鼻で笑った。

桜橋を渡りきり、桜楼閣の門を潜れば、そこは四季折々の緑が広がっている。
特別に品種改良されたそれらは、品良く整えられ、整備も行き届いていた。
左右に広がる庭園を、石畳にそってそのまま進めば、桜楼の玄関口が現れる。
楼閣内と同じ黒檀塗の床が綺麗に磨かれ、広い玄関口からは寝室へと続く廊下が奥の方に見えた。
そこを花魁が歩く姿は綺麗だ。
まだ髪が下ろされていない時は、高貴な着物から除く白いうなじが惜し気もなく披露され、寝室へ入って行く花魁のその姿が艶めかしい。
「狂さん、お酒はいつもと同じで良い?」
玄関先で幸村が和紙を取り、狂に微笑みかける。
和紙は鶯色で、それに酒の種類等を書いて和紙の入っていた箱の隣の箱に入れておくと、それらが後から座敷まで運ばれてくる仕組みになっている。
「ああ」
適当に軽い返事を返した狂は、慣れた仕草で中へと入る。
座敷は、大抵いつも一緒だ。
それぞれ花魁が入る部屋は決まっていて、その部屋はその花魁専用の座敷となるのだが、今日は花魁が二人ついているがどちらの座敷へ入っても特に支障は無い。
狂は幸村を置いてほたると共に、近い方のほたるの方の座敷へと入った。
整えられた部屋は温度調節や湿度調節までしてあって心地良い。
しかし狂にとってはそんな事はどうでもいい。
ただ、駆り立てられる衝動は抑えられない。
ほたるも狂に続いて座敷に入った直後、狂によって腰を掴まれ、倒れ込む様に狂に抱き寄せられた。
「んんっ・・・ン…ふ」
有無を言わせぬそれに、ほたるは拒む事が出来ない。
強引に唇を割って入ってくる狂の舌が、巧みにほたるを高める。
「あれ、狂さん、今日もまた何かあったの?」
そんな二人に、後から入ってきた幸村はそっと障子を閉めながら首を傾げて問う。
どうやら紙には部屋の名前と酒の種類その他つまみを書き終えて来たようだ。
そして部屋に入ってすぐに見た狂とほたるのその光景。この状態は、昨日の狂と幸村との行動が何処か重なるものがある。
「別に何もねぇ」
言い放つ狂に、ほたるも幸村も苦笑いを零す。
「狂、あっち行った方が良くない?」
腰を捉れたままのほたるがそう促す。
奥には布団の敷かれた寝室。
しかし、もうそんな在り来たりな同じ所にも飽きてきた。
「いや、ここで良い」
不敵な笑いを讃え、狂は上座にどっかりと腰を下ろした。しかし、どうもその行動は酒を呑む態度ではない。
「幸村、来い」
「え…うん」
多少の戸惑いを見せる幸村に、ほたるは首をかしげる。
「ここでスルの?」
滅多に無いシチュエーション。
いつ注文した品を持って人が入ってくるかわからない。
「座れ。ほたる、お前もこっちに来い」
胡坐を掻いた狂の膝の上に座らされた幸村。
近くに来いと呼ばれたほたるは、素直にそれに従う。
狂によって段々と着物を脱がされた行く幸村の姿を見ながら、ほたるは狂の隣に腰を下ろす。
チラ、と時折り幸村がほたるを見るが、ほたるはそんなのは気にしない様子で、持ち前の能天気さでぼぉっとそれを見ている。
「ほたる、脱げ」
「は?」
不敵な笑みを讃えた狂が、幸村の着物を脱がせながら突然ほたるに言うが、それを多少聞き逃す。
手は幸村の着物を脱がせているのに、視線はほたるに向いている。
「脱げ」
再び、狂はほたるに言い放った。
「別に良いけど…」
どうせ後で脱ぐのだから、今脱ぐのも後で脱ぐのも大して変わりは無い。
狂の視線を受けながら、ほたるは着物を脱ぎ始めた。
重ねられた着物を、帯を解いて脱いでいくと、重力に遵って着物は下へと滑り落ちる。
パサ、と着物が落ちる音と帯を解く音がヤケに厭らしく聞こえて来るのは何故だろうか。
ほたるの脱ぐ音と、幸村の脱がされる音だけが、部屋の中に響く。
淡々と脱いでいくほたる。
しかし幸村はもぞ、と動いて狂の膝の上で多少挙動不審になっていた。
段々と脱がされていく幸村は、顔が仄かに朱に染まり始め、じれったい様に、座らせられているせいで時折り触られる自身にピクン、と反応を見せている。
狂の、明らかに企んだ含み笑いは、きっと幸村を追い詰めて楽しむ為だ。
後2枚。それだけ脱がせられたら、幸村は何も身につけていない状態になる。
そうなったら、今度はほたるがまだ脱ぎ終わっていないから、脱がせにかかるだろう。
ほたると3人でというのは初めてだ。
与えられる快楽は、いつもとどんな風に違うのだろうか。
ほたるの視線を、後から時折り感じる。
残りの、まだ何処かに残っていた『正論と常識』という名の理性を、幸村は手放そうとした。
ここは遊郭。
客に春を売る、なんて色町で聞く様な洒落た言葉では表現されず、ただ自分を売る所、陰間。
幸村は、ほたるにしか視線の行っていない狂の顔を、両掌で顔を覆うようにして自分の方を向かせ、その唇にキスをしようとした。
しかし、狂の動きがピタッと止まり、幸村のそれも止まった。
狂が、何かを感じた様だ。
「・・・何だ?外が騒がしいぞ」
「え?」
視線を障子越しで廊下へと移す狂。
狂が言う通り、ざわざわと空気が騒がしく、段々と声等も遠くの方で騒がしくなってきている。
誰かが叫ぶ様に何かを言っているらしく、しかしその言葉はまだ不鮮明だ。
ほたると幸村も、狂同様、視線を廊下の方へ向ける。
しかし、その騒ぎは段々と近付いてきていた。
それと共に鮮明になっていく声。
それは、自分達の小姓と『誰か』だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
そして、それはしっかりと聞き取れる位に鮮明になる。
「幸村!」
幸村の名を呼ぶ声。
その声を聞いた瞬間、幸村の体がビクッ、と跳ねた。


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