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第2幕参話 桜舞い散る春風の 「何処だ幸村!」「お待ち下さいお客様!只今幸村は他のお客様の…」 「五月蠅い!!」 荒い足音が、段々と近付いてくる。 苛立ち叫ぶように言うその声と共に、小姓達の焦る様な声が聞こえる。 幸村の鼓動が、どんどんと早くなって行っていた。 聞いた事のある声。 多少、苛立ちのせいで荒くなってしまってはいるが、馴染みのあるそれ。 嫌な記憶が脳裡に再び焼きついた。 息が詰りそうだ。 早すぎる鼓動のせいで、呼吸が苦しい。 知らず知らずの内に、呼吸が浅く、短くなっていた。 目の前には狂がいて、隣にはほたるがいるのに、幸村だけは血の気が引いている。 体温がどんどんと下がり、身動きが取れない。 ぎゅっと狂の着物を掴んだ。 怖いという感情を通り越した畏怖と、焦りが、入り混じっている。 「幸村?どうしたの?」 微かに肩が震えている幸村に気付き、ほたるがどうしたのかと声をかけるが、幸村の耳にはそれは届いていなかった。 更に大きく、もっと鮮明になってくる廊下の声と足音。 でも、まさか・・・ 当たって欲しくは無い。 こんな格好を見られたく無い。 心臓が痛い。 心音がツライ。 それでも、確かめずにはいられない。 自分の聞き違いであってほしい。 「どうした、幸村」 怪訝そうに眉を潜める狂のその声さえ聞こえず、すっと狂の膝から立ち上がった幸村は、自然に落ちた着物に足を取られながらも、震えるそれを無理矢理一歩一歩前に出した。 最後の着物が肌蹴るのも関わらず、血の気が引いて冷たくなっている指先をそっと障子にかけて薄くゆっくりと開けていく。 心臓が耳の横にあるかのように煩く響き、そして早鐘の様に鳴っている。 廊下を恐る恐る覗けば、他の部屋の花魁が何事かと廊下を覗いていた。 数人の花魁は廊下に出て止めようとしている者もいる。 見慣れた、自分と同じ花魁達。 そして、2部屋先に立っていたのは――― 「サスケ・・・」 嘘。 何で。 どうして。 その声の持ち主が、当たって欲しくはなかった。 もう二度と会う事はないだろうと思っていた。 『サスケ』 背も伸びて、髪も多少伸びたサスケ。 基より、大してクセの無かった髪はそのまま伸ばされ、身長も伸びて青年と呼ぶに相応しい体格に成長していた。 光を強く放つ瞳は、昔のまま何も変わっていない。 そんな、自分達よりも身長の高いサスケの着物をひっぱり、足元にすがり付いてそれ以上奥へは行かせない様に頑張っている幸村とほたるの小姓達を、いとも簡単に押し退けてサスケはこちらへ来る。 「サスケ・・・何で・・・」 「お客様!!」 「困ります!」 その小姓達の声の方が大きく、幸村は浅く薄い呼吸と共に無意識に出た言葉なのに、サスケには幸村の声が聞こえた様だった。 「幸村!」 探していた人物を視界の内に映した。 幸村の姿を捉えたサスケが、忍そのものの素早い動きで、サスケの存在に一歩下がった幸村の目の前に、居た。 小姓が、そのサスケの動きについて行けるわけもなく、只呆然と、突然幸村の目の前に現れたサスケを見るしか出来ない。 何故か、サスケと幸村の間に、小姓達が入ることは出来ない。 そんな空気が漂い、その場の空気が張り詰める。 来たというよりも、本当に居たと言ってしまった方が早いその動き。 「どういう事だ」 いきなり目の前に現れたサスケに、半分放心状態になってしまっている幸村は呼吸する事さえ忘れた。 そんな幸村に、サスケは先刻とは違い、低い落ち着いた声で言う。しかしその声は少し掠れてしまっている。 恐らく、感情を押し殺している時のそれだろう。 幸村はといえば、喉が張り付き、言葉など出るはずも無い。 驚愕に見開かれている幸村の目には、目の前にいるのが幻覚の様に見える。 ひゅう、と幸村の喉が鳴った。 「サス…ケ、何で・・・」 逃げない様にとサスケに肩を緩く掴まれ、揺さぶられて、やっと幸村の口から出た言葉。 ここにいることは誰にも教えていない。 十勇士さえ知らない。 客から話が漏れたわけでもないだろう。 花魁の話を、名を出しては話さない。それがここに来る客たちの暗黙の了解のはず。 だからこそ、今まで事件なんて起こったことは殆んどない。 少なくとも、自分がここに居る間は。 ならば、何でこんな所にいるのだろうか。 思考が全く働いていない幸村は、少しのことを考えるのに一杯一杯になっていた。 「何でこんなトコに居んだよ。お前、こんなトコで働く為に俺を追い出したのか…?」 怒りを露わにしたサスケは、なおも幸村に詰め寄る。 恐怖を覚えている幸村に、サスケは、それでも低い声で淡々としていた。 感動の再会とか、そんなのはまるでなくて・・・。 只、先刻の幸村を探していた時とは違う、その静かなサスケが怖かった。 「あ・・・ぁ…」 幸村の口から漏れるのは、ロレツの回らない、薄い呼吸と共に出されるその声のみ。 緩く首を左右に振り、サスケの言葉には否定しようとするが、出来ない。 目にはいつのまにか涙が溢れ、しかしそれは歓喜の涙ではなかった。 涙は頬を伝い、自分よりも大きくなったサスケを見上げているせいで首筋を伝っていく。 「幸村、答えろ。何でお前はこんなトコにいるんだ。俺を町に出して、勝手に嫁候補だ?ざけんじゃねェぞ!!」 淡々としていた口調が一気に怒りに変わり、幸村はビクッと肩を揺らした。 掴まれている肩の手に、痛い位力がこもるのが分かった。 「何とか言え!お前が言うから俺は町に出たのに、何でお前はこんなトコにいんだよ!・・・はっ、それともここに来る為に、俺が鬱陶しくなったか?」 荒げた口調はいきなり吐き捨てるような平常なものに変わり、怒りを強く瞳に宿し、しかし何処か嫌悪を覚えた目で幸村の目を見据える。 今まで、これほど怒りを露わにしたサスケを見た事が無かった。 未だに、はっきりと状況が理解出来ない。 何でここにサスケがいる? 何で今こんな状態に陥っている? 自分は何にこんなにも怯えているのだろう? 怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い・・・ しかし、そんな事を悠長に考える時間などありはしない。 「ぁ・・・サス…ケ、あの…」 「ンだよ」 冷たく蔑むように吐かれる言葉は、まるで凶器だ。 どんな鋭い武器にも負けない言葉の凶器。 それは外部を傷付けずに幸村の心臓を突き刺し、掻き回し、抉る。 「ごめ…」 「否定しねぇんだな」 震える声を必死に絞り出したが、幸村は次の言葉が思い浮かばず、ごめん、と言いかけた。 しかし、サスケの哀れみを含んだ呆れや蔑みを帯びた言葉にそれは止まった。 「俺が鬱陶しかったんなら、何で言わねぇんだよ。はっきり言えば良かったじゃねぇか。邪魔だって。そしたら俺も…」 「違う!」 咄嗟に、幸村は怒りを覚えた様に視線をサスケにしっかり向けて叫んだ。 その言葉は無意識だ。 しかし、本当の事。 「違うよ、サスケ…そうじゃない。邪魔なんて…思ってない」 先刻までは声が出なかったのに、突然出る様になった言葉。 必死だった。 言葉を紡ぐのが精一杯で、言葉は脳まで回らず、肺から酸素を奪い取ってそのまま口へやってくる。 それは偽りの言葉ではなく、必死にサスケに伝えたい事で、しかし、全ては言ってしまえない事。 自分の内情まで知られたくは無い。言えない。 でも、出る内に、言ってしまいたい。 どうしても、言いたい言葉。 「邪魔じゃない。・・・大好きだよ、サスケ。でも・・ね、駄目なんだ。・・・ごめん」 「…どういう事だ」 サスケは幸村の言葉に怪訝そうに眉を潜めた。 先刻まではそのまま逃げ出しそうな程腰が退けていて顔色が蒼白としていた幸村が、段々と戒めが無くなった様に言葉を紡ぐ。 ぎゅっとサスケの着物を掴み、必死に『何か』にしがみ付いている。 そんな様子に、サスケは幸村の肩を掴んでいた手を放した。 「じゃあ何で俺を町に出した」 一番聞きたかった言葉を口に乗せたが、その言葉は、幸村にとってもサスケにとっても痛かった。無意識の内に、サスケの声も震えた気がした。 それでも、聞かなければならない。 あの日、町に出された日の事を、サスケは忘れた事が無い。 町の、自分の今後住む家だと言われた所までは小助がついて来た。 九度山の屋敷を出るとき、自分は何度も振り返った。 意地を張ったり大人びたふりをしていても、結局はまだ幼い自分が、そこで何かを出来るわけじゃないし、町へ行けと言われて、嫌だと駄々を捏ねるわけにはいかない。 その時は、自分にはまだプライドという意地が残っていたのかもしれない。嫌だと云いたくない、子供っぽい意地。 今思えば、本当にクダラナイ意地だった。その『プライド』さえ捨てて幸村に縋りつくなりしていれば、今こんな状態には陥っていないだろう。 ただ、幸村が止めてくれるんじゃないかという淡い期待がまだあったから。 それでも、幸村はにっこりと、いつもの様に笑っていた。 『元気でね。 気を付けて。 たまには『遊びに』おいで。』 そう言葉を残し、サスケがまだ幸村を見ているのにも関わらず、幸村はその場を去った。 町までくれば、連れられたのが名家で名の通る大きな屋敷。 使用人もいるし、自分達で家事をする事も無い。 何不自由ない気まま平穏な生活。 そしてそんな平穏な生活の中、花嫁候補だと言われ、出てきたのは3人の娘。 綺麗な着物に身を包み、それに見合った綺麗な顔立ちで、温室育ち特有のそのおっとりとした優しい表情や、物腰を余す所無く嫌味の無いその感じ。 女達の、未来の夫になるかもしれない者へ対する尽くす彼女達の姿勢は健気な物だった。 役に立ちたいと、色々な事をしてくれた。 言えばきっと、体だけの夜の奉仕でさえも喜んでしただろう。 普通の男なら、きっと据え膳で直にその中の誰かと契を交わしてしまう。 でも、そんな女達になんて全く興味は無かった。 頭の中を支配しているのは、幸村の事ばかり。 幾日も、幾月も過ぎていく。 遠くを見れば、九度山は相変わらず緑が生い茂っていた。 そこに幸村はいる。 自分のいない九度山で、一体幸村はどんな風に毎日を送っているのだろうか。 今まで通り、勝手気ままに生活をしているのだろうか。 小助に世話をかけ、才蔵に小言を言われ、鎌之介の所へ逃げて、甚八に捉って・・・。 コロコロと表情を変えて、まだ子供の様に感情豊かに笑う幸村。 どんなに綺麗な女を目の前に出されても、幸村には敵わない。 いつも幸村を思ってきた。 いつかは戻れると信じていた。 なのにどうして・・・ 「・・・ない」 「あ?」 「言えない。ごめんね・・・サスケ。ごめん…」 「意味わかんねェよ」 「ごめん…」 呆れがちに視線を幸村に向けるが、涙が止まらない幸村に、サスケは自分の怒りを何に向けているのか、一瞬に分からなくなった。 涙を流したまま、それを拭いもせずにジッとサスケを見ているその瞳に嘘は無い。 幸村の方が、何故か自分よりも痛そうだ。 そんな幸村に、サスケは次の言葉が中々出ず、行動さえ起こせない。 しかし、足音を立てず、そっと幸村が前に踏み出した。 歩いたせいで更に着物は肌蹴け、肩まで落ちるが幸村は気にしない。 胸元が見えるその姿や涙を浮かべる瞳は艶めかしい。 前はこんなに、自分以外の『男』を誘うような奴じゃなかった筈だ。 「ゆき・・・」 サスケが、咄嗟に口を開く。 刹那。 サスケは目を見開いた。 ふわりと自分を包む優しい幸村の匂い。 それと同時に感じたのは、微かに感じる唇へのふっくらとした暖かみ。 懐かしい、前は当たり前の様に自分のものだったそれ。 それが幸村の物だと気付くのにそう時間はかからなかった。 しかし、それは本当に一瞬で、気付いた時にはもうそれは離れてしまっていた。 「ごめん・・・」 「・・・幸村!」 何度目か分からない幸村のその言葉を聞き、反射的に幸村を繋ぎ止めようと出したサスケの手は空を切った。 素早く後に下がった幸村は、敷居を跨ぐ。 ピシャン、と木枠特有の音と共に、サスケと幸村の間には『扉』が現れた。 その『扉』の向こうには、木枠に手をかけ、障子に指を乗せている、襖を閉めた幸村の薄い影が見える。 「幸・・・村・・」 襖越しに幸村の指に自分の指を重ねて乗せるが、その温かみは全く無い。 もろい紙一枚が、こんなにも厚いと思ったことは無かった。 力を入れれば簡単に壊れる襖が、鉄の、それこそこの陰間寵入口の寵門の様に重く、大きく、分厚い物に感じた事など・・・。 「頼むから…」 今度は完全に声が震えた。 指を重ねたまま下を向いたサスケの頬には、一筋の涙が伝う。 「開けてくれ・・・戻ってきてくれよ…」 しかし、どんな訴えにも、幸村はそこを開けようとはしない。 幸村は後ろを振り向いた。 そこにいたのは、動揺もしないで普段通り『俺様』な貫禄を発揮している狂と、困惑しているほたるがいる。 もう、後戻りなど出来ない。 『過去は変えられない。変えられない過去がもうすぐ来るよ』 夢の中の自分は、そう言ったのだ。 分からなかったパズルピースがやっとハマった様に、繋がった言葉に幸村は自傷気味の笑顔を浮かべた。 「ごめんね、二人共。もうちょっとだけ、待って」 今出来る自分の精一杯のヤセ我慢。 涙を堪えて、振り返って障子を開けて抱き付きたい衝動を抑え、自分のサスケに対する全部の感情を内に押し込める。 後にはいるけれど、その襖一枚でどうにか出来る。 見なければ、きっと何でも言える。 見られなければ、きっと何でも出来る。 涙でグチャグチャになってしまっている顔を手の甲で拭い、幸村は障子越しにサスケの存在を感じながら、狂とほたるの方へ歩んだ。 「クソ…っ!何で・・」 幸村の存在が障子越しにも消えた後、サスケは襖を破ることなく、その場で佇んだ。 そうしていてもどうしようもないこと位分かっているのに動けない。 絶望というマンホールに突き落とされた様に、ぽっかりと開いてしまった心の穴。 自分の命よりも大切に思っていた大事な者に、自分は見捨てられてしまった。 もう、どう仕様も無い。 成す術無く、サスケは佇んだまま動けなかった。 キツく拳を握れば、その手は小刻みに震えてしまう。 情けない。そう自分で思うが、それとは別に、大切な人を失った時はこんなにも人間は無力になるのかと思った。 この際、この遊郭には悪いがここで自分の首を掻っ切ってやろうか。 そんな想いが脳裡を過った。 しかし、ポン、と肩を叩かれ、サスケは反射的に後を振り返った。 「お客様」 そこにいたのは、花魁衣装に身を包んだ、綺麗な人。 その人物はにっこりとサスケに笑いかけ、鈴が鳴るかの様に穏やかに言った。 「ここの花魁で李蝶と申します。楼主があなたと話をしたいと」 「・・・悪かった。もう出て行く」 「え、あ〜、それは困る」 「・・・あ゛?」 突然変わった李蝶の口調に、サスケは少し睨みがちな視線を向けた。 砕けた口調は、どうやら地のものの様だ。 咄嗟に出たという様に、口元を押さえているその花魁は、仕方ない、といった感じで苦笑を零す。 「別にさっきのがどうこうって話がしたいわけじゃないらしいんだわ、ウチの楼主」 少し肌蹴ている着物は、先刻までは客の相手をしていたのだろう事を物語っていた。 先刻の騒ぎの中、恐らく小姓が楼主に騒動の事を伝え、楼主は小姓に「誰か花魁に伝えて『上』まで連れて来い」とでも言ったのだろう。 そしてその小姓は李蝶にそれを伝えた。 丁度その騒動を興味本意で覗いてしまった李蝶に白羽の矢が立ったのだ。 「じゃあここの楼主が一体俺に何の用があるんだ?」 訝しげに言うサスケのその質問に、李蝶は声のトーンを落とし、クイッ、とサスケの着物を引っ張って唇をサスケの耳元に寄せた。 「幸村のことで」 李蝶ははっきりとそう言った。 そしてにっこりと笑い、「こちらへ・・・」と言葉を丁寧なものへと戻し、朱廓へとサスケを案内する。 |
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