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第3幕初話 数多行く末華満ちに 「おはよう幸。まだ眠そうだね」朝、幸村はいつもならまだ寝ている時間に部屋から出て眠気眼を擦りながら廊下を歩いていると、不知火に後から声をかけられた。 恐らくは今まで客をとらされていたのだろう格好に、幸村はボーっとしながらつい見惚れてしまう。 朝から見るには、その出で立ちはあまりにも官能的だった。 胸元が露わになるまで胸元は肌蹴け、髪結いをしていない漆黒の絹糸の様な髪が朝日に照らされている。何処か気だるそうなその表情に、仕事の余韻を感じさせた。 「朝まで相手してたの?」 眠気を払う様に目をごしごしと多少乱暴に擦り、不知火に問う。 李蝶と違い、いつもならそんな乱れた格好のまま部屋から出てくる事はなく長襦袢だけでもきちんと前を合せているのだが、今日はそれさえも億劫だった様だ。 不知火はくす、と苦笑した。 「そう。馴染み客だと中々放してくれないから困るよ」 「これから寝る?」 「ううん。今日は幸と約束してたでしょ?」 ふんわりと笑う不知火に、幸村はつられてにっこりと笑って返す。 不知火が笑うと、自分まで何故か穏やかな気持ちになる。癒し、とまでは行かなくても、独特の優しい雰囲気を持った不知火は、幸村にとって『姉』的は存在だった。それとは反対に、いつも明るく元気な李蝶は、差し詰め『兄』的存在だ。 「でも大丈夫?」 仕事で疲れたまま、寝ずにそのまま一日を過ごすのは無理があるだろう。そう思った幸村だが、その心配は無用だった様だ。 「慣れって恐いよね…」 不知火は、幸村の言葉に対してそう答えた。 つまりは、多少の無理は慣れていると、そう言いたいのか、はたまた、この位なら平気だと言いたいのか…。 「着替えてくるよ。幸も顔洗ってきたら?」 「ん、そーする」 幸村が軽く返事をすると、不知火はにっこりと笑って幸村の横を通り過ぎた。 「…クソッ!」 朝も開けきらぬ内から窓の外をひたすら眺め、自分の部屋からでも見える桜楼閣の、あの紅く高い塔を見る度にサスケは窓縁を強く拳で叩いていた。 眠れない夜が続いて一体どれ位になるのか。 桜楼閣に幸村はいた。 それを確かめられただけでも、初めは良かった。 でも、確かめた今、今度は色んな男が幸村を金で抱いているのかと思うと、怒りと嫉妬と憎悪が渦巻いて夜も眠れない。 それに、何故、幸村は自分を見て怯えた様な表情を見せたのか。 逃げる様に入って行った部屋には、客だろう男と、花魁が一人。 一体自分はあの状況でどうすれば良かったのか。 楼主には手放すつもりはないとまで目の前ではっきりと言われ、しかし方法が無くも無い。 自分が幸村を身請けしてしまえばそれですむのだ。 しかし、身請け話をするには幾度か楼登する必要があるし、ある程度の日数もかかる。それまでに幸村が身請けされてしまえば自分が楼登った意味はなくなる。 例え身請けをされていなくても、自分の身請け話に頷いてくれなくては、それこそ意味が無い。 幸村のあの状態だと、今身請けの話をした所で、自分の所へは来てくれないだろう。 それなら、一度幸村とゆっくりと話し合う必要がある。 しかし、自分の指名で果して幸村は来てくれるだろうか? 腸が煮え繰り返りそうなその何とも言えない焦りと怒りに、サスケは眩暈を覚えた。 「あの…サスケさん…」 外を見たままでいると突然ゆっくりと声をかけられ、サスケは目線だけをそちらへ移す。 そこに居たのは花嫁候補として挙げられている一人だった。 「何だよ」 明らかに返事をするのも面倒臭いと態度に表しながら、サスケは素っ気ない返事を返す。 「昨晩はどちらへ…?」 「お前には関係無い」 「でも…」 「俺の勝手だろう。出てけ」 只でさえイライラしている所に、また怒りが募っていく。 殊更鬱陶しいと態度で示すサスケに、それでも女は引き下がろうとはしない。 「先日から殆んど寝ていらっしゃらないじゃないですか。私は心配で…」 「・・・・」 「最近殆んどお食事も召し上がっていない様ですし、体調を崩され…」 女は節目がちで続け様として、耳元を過ぎた風を切る音に言葉を止めた。 刹那、ガッ、と生木を力一杯叩いたような音が続く。 小型のクナイが、女のすぐ横の柱に深々と突き刺さっていた。 「うっせぇんだよ!さっさと出てけ!!」 「し…失礼します…っ」 流石にその怒りを行動で示したサスケを前に、慌てて部屋を飛び出す。 何をこんなにも慌てているのだろう。 何でこんなにイライラするのか。 何がこんなにも自分を追い詰める…? 「…クソッ!」 じっとしている事も堪らなくなったサスケは窓から屋敷を飛び出した。 「凄い人ー」 数歩先が見えない位の人だかりで、幸村と不知火はなかなか思うように前へ進めないでいた。 目的の場所は、取り敢えずは小間物屋へ行こうという事になり、やっと後少しと言う所までやってきたのにその後少しがなかなか辿り着けない。 しかし、こんな煩い位の喧噪や人混みも久し振りで、幸村は嬉しかった。 桜楼閣へ入ってからというもの、幸村は知り合いに見付かる事を警戒して街へ出るのはなるべく裂けていた。 でも、最近はそれもあまり無くなった。 只、何と無く、気が軽くなった気がした。 何が変わったわけでもない。 でも、サスケを桜楼で見てから、一気に重かった足枷が無くなった気がした。 多分、自分が遊郭にいる事がバレるのではないかと思っていた事が、自分の何処かで枷になっていたのだろう。 「幸、離れないでよ」 「うん。けど人が凄すぎて…」 きゅ、と幸村は不知火の女物の着物の袖を掴む。 基本的に、寵門から出る時の服装は自由だ。 だが、髪が長いのと顔立ちのせいで男物の着物を着ていても女と間違われ、声を掛けられては男だと訂正しても結局は冗談だろうと言われる。 ならば、もう女物を着てしまえと開き直った幾代か前の御職を争っていた数人が女物をそのまま着ていた事から、その風習の様なものが今でも残っている。 それに習って、幸村と不知火も女物の着物だ。 ただ、見世に出ている時とは違い、なるべく目立たない様な地味な着物だが。 「…やっとついた・・」 はぁ、と2人はほぼ同時に溜息を吐いた。 「いらっしゃい。お、久し振り。元気だった?」 店に入ってすぐに、後ろから声をかけられた。 陽気な口調のその人は、にっこりと笑っている。 ぱっと見た感じでは綺麗な人で、髪は短髪、格好は胸元をさらしで巻いた男着、口調は商人の軽快なそれで、男か女かはっきりとは判断し難い。 「お久し振りです」 「あれ、おじさんは?」 不知火は笑いかけ、幸村はきょろ、と周りを見回して問う。 すると、その人物は苦笑した。 「親父なら祭の準備手伝いに行ったよ。いい年して良い加減にしろって言ったんだけどさ。そういや、あんたら仕事の方はどう?」 勘定机に肘をついて、今度は2人が問われる。 「そこそこかな。僕は朝まで仕事してたけどね」 クスクスと笑いながら、不知火は幸村に目をやる。 幸村は2人の会話を聞きながら、簪を手に取っていたが、不知火の視線に気付いてそちらに視線を移す。 「僕は早めに仕事終わらせて昨日はゆっくり寝てた。それにしても、秋さんって何でそんなに物分り良いの?」 秋と呼ばれたその人物に向き直って、片手に簪を弄びながら幸村は又問う。 しかし、秋はきょとん、として幸村の言う事が理解出来ていない様だ。 「何が」 「だって、僕達の仕事って、どっちかっていうと女の人は嫌がるでしょ?」 「ああ、だってそりゃあ仕方ないでしょ。このご時世、そんな仕事も有りだと思うし。それにさぁ、男が男に抱かれて何が悪いんだかアタシにはよく理解出来ないんだよね。そんなんあんたたちの勝手じゃんねー。それにさ、こんな事言うとあんた達に悪いかもしんないけど、子供出来ちゃうとかの心配無いし楽じゃん」 「まぁ確かにそれもそうだけどさ…」 「お互いがそれで良けりゃ良いんだって」 あっはっはと盛大に笑いながら、秋はその辺にあった椅子を持って来て座って足を組む。 幸村が初めて秋と会った時は驚いた。 それまでは女性が自分達の様な『男相手に商売をしている人の気持ち』はよく分からないと言われてきた。 しかし、秋はそうではなかった。 初めて不知火と李蝶にここへ連れて来られた時、秋はあっけらかんとして、さっきの様な台詞を笑いながら言い飛ばしたのだ。 店主に聞けば、秋のそんな性格は小さい頃からだったという。 幸村は簪を未だに片手に弄びながら、また不知火と秋の会話を聞いていた。 先刻から、今手に持っている簪を手放せない。 最近国外から入っていたのだという青い石が蝶の形に彫られていて、それの廻りには煌びやかに装飾が施されてきらきらと光を反射している。 それをじっと光にかざして見ていると、秋がそれに気付いたように人好きしそうな笑みを浮かべた。 「それ、気に入った?」 「うん。すごい綺麗」 「でしょ。それね、それの兄弟物が今日売れてったんだよ。石が赤いやつ」 「へえ。どんな人が買って行ったの?」 不知火が興味本位で問うと、秋は身を乗り出してそれに応えた。 「それがさ、凄い綺麗な人なんだよ。綺麗って言ってもあんた達みたいな綺麗じゃなくて、なんて言うんだろ、どっちかって言うとあんたんトコの楼主みたいな感じの。あ、でもちょっと違うか。イメージ的にはあんたんトコの楼主とは逆色な感じ。白い…って言うか銀?の髪で猫目だったし、あんた達のトコの楼主は黒いでしょだから反対だ、うん。アタシが言うのも何だけどこれ結構高いからね、多分それなりに財力ある人だと思うよ。」 そこまでを多少興奮した様に言うと、秋は満足した様だ。 不知火はまたクスクスと笑って秋に視線を向ける。 「珍しいね、銀の髪なんて。この辺ではあんまり見ない」 「そう。だからはっきり覚えてるんだって」 2人は再び雑談を交わす。今度の話題の対象になったのはその銀髪で猫目の人物。 まだ脱色しか髪の色を変えるなんて事は出来ないこの時代、銀髪なんて滅多に出る色ではないので、今までにそんな髪色の人は見た事が無いのだと不知火と秋は雑談の中で言うのが聞こえる。 しかし、幸村はそうではなかった。 珍しい銀髪で、生意気そうな猫目の人物が、只一人だけ思い当る。 「…ねぇ」 「ん?」 「それ、どんな人?」 「だから、銀髪で・・・」 「そうじゃなくて、身長とか服装とか」 「何、客にそんな人でもいたの?えーとね、服は…」 思い出す様に視線を一瞬漂わせたが、すぐに思い出した様にまた軽快に話し出す。 「確か服は白い無地のだったかな。何にも柄入ってなかったし、凄い淡白な感じの。あ、でも下に網着着てたかなぁ。身長はあんたんトコの楼主よりちょっと低い位で〜…あ、そうそう。特徴的なのはね…」 「何?」 「この辺って結構言葉の訛りあるでしょ?でも全然訛り無いの。で、何かその買ってった簪、好きな人にあげるらしいよ。その人、どっかの楼閣にいるみたいな事も言ってたし」 そこまで聞いて、半分頭の中が麻痺した。 銀の髪。 猫目。 高い身長。 網着。 訛りの無い言葉。 間違いない。 何でこんな所でそんな話と出会ってしまったのだろう。 珍しくここまで出てきた自分が悪いのか…? 「…サスケだ」 |
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