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第3幕弐話 春のざわめき

「何?」
 雑談を交わしていた不知火はふいに聞こえた言葉に小首を傾げ、幸村へ視線を向ける。
 外の喧噪で消え入りそうだったものの、それが幸村の声だったという事だけは分かった。
「今の話の人、僕の知ってる人かもしれない…」
「…知り合い?」
「うん…」
 銀の髪の人物がこの世に沢山いれば、思い当る人物だとは思わないのに…。
「大丈夫?顔色悪いよ?」
 秋にそういわれて、初めて自分の体温が下がっているのに気付く。
 もしかしたら、また桜楼へ来るかもしれないという不安と焦り。
 また、客をとっている自分を見られてしまうのだろうか。
 こんな自分をどう見ているのか、あの淡々とした冷酷な声が、思い出すだけで再び耳元で聞こえた気さえした。
「ごめん、僕帰る」
「え?あ、ちょっ、幸!」
 言うや否や、だっ、と店を飛び出した幸村に、慌ててその腕を掴もうとした不知火の指先を幸村の着物が翳め、そのまま人込みへと消えていく。
 一体どうしたのか皆目検討がつかないが、急に顔色が悪くなったのは確かだった。
 尋常じゃない、と、不知火は悟る。
 思い違いかもしれないが、微かに言葉が震えていた。
「ごめん、僕も行く」
「あ、あぁ、うん、気を付けて」
 幸村が走り出した方へ、不知火も走り出す。
 人込みは時間を追うごとに更に増し、数メートル先なんて見える状態では無くなっている。
 そんな中で幸村を見つけることなんて不可能だ。
 しかも、こういった人込みでは一人になるなと、前から重々楼主に言われていた。
 過去に、人込みで逸れて一人になった花魁が、何処か他の見世に売られたという噂を幾度となく聞いた事があったからだ。他の楼閣での話ではあったけれど、桜楼閣での花魁ならば、尚更狙われやすい。
 花魁が高く売れるのは、誰もが知っている。
 勿論、そんな攫われた花魁を買うのは桜楼閣などの陰間楼閣ではない。どんな商売にも、表があれば裏もある。
 桜楼閣が表なら、犯罪に係るような仕事にさえ手を出している楼閣が裏になる。
 仕方なく不知火は、桜楼へ一度戻る事にした。
 幸村には頼る当ても帰る場所も無いと分かっている。
 自分と違って自由の身でありながら、『自分が居られる場所が無い』と、笑っていたのは幸村だった。
 どうか無事でいますように。
 そう願って、不知火は桜楼閣へ急いだ。


「お、ほたるじゃん。どーしたよ」
「…幸村いないから暇」
 目が覚めて隣の幸村の部屋へ行ってみたら、そこには誰もいなかった。
 幸村付きの小姓に聞けば、幸村は不知火と街へ出て行ったという。
(そういえばそんな事言ってたっけ…。)
 ぼーっと考えて、ほたるは結局暇を持て余していたのだ。
 仕事が無ければ、花魁なんて暇なものだとつくづく実感したほたるは、自分の部屋の前の廊下に座って、広がる庭園をのんびりと眺めていた。
 風が時折り吹いてきて、何処からとも無く花の匂いを運んでくるその様は、とても綺麗で、そして何処か儚かった。
 こんな陰間遊郭でも、逸話がいくつかあると云われている。
 悲しい逸話の数々は、代々花魁達に御職の者達が話し聞かさせていた。
「不知火と街に行ったんだろ?何、お前暇人かぁ」
 笑いながら、李蝶はほたるの隣へ腰を下ろす。
 滅多に無い組み合わせで、よりによって今李蝶の隣にいるのはほたるだ。
 明るい性格の李蝶と、ぼーっとしているほたるに会話が別段弾むでもなければ、静まり返ってしまうわけでもない。
「暇ってホント嫌になってくるよなぁ」
「うん…。…今休み?」
「そ。後1時間は休み。そしたらまた客入ってっケド、まぁ今日は3人だけだから楽だろ」
 あっはっはと笑いながら、着崩れた花魁衣装の李蝶は片足を抱く様にしてもう片方の足を伸ばした。
 すらりと伸びる脚はさほど焼けているでもなく、しかし着物から垣間見える抱かれた足の付け根に、ほたるは目を奪われた。
「それ…」
「ん?」
 その言葉に李蝶は視線を向けてほたるの視線の先を辿れば、自分の脚にほたるの興味が行った事に気付く。
「ああ、コレ?」
 着物を退けてほたるに脚の付け根を見せれば、ほたるはうん、と肯いた。
 李蝶の脚の付け根にあるのは大きな傷痕だった。
 左足の付け根から太ももにかけて、大よそ15p近くあるだろう切り傷。
 深く抉れたのだろう広がる痕は、見ていて痛々しいものだ。
「それ、どうしたの?」
「何年か前に客にやられたんだよ。たまにいるんだよな、頭オカシくなる奴。こん時の客は完全にアッチの世界入ってたんだろうなぁ、俺を自分の物だとか言いやがって斬られた。ほたるも気を付けろよー。じゃないと俺みたいなメに遭うからな」
 滅多にそんな客いねぇケドな、と笑って続け、李蝶は言う。
 しかし、普通ならそんな話は笑って出来ない。
 李蝶だからこそ、そんな風に笑って言えるのだろう。
 傷痕から窺える事は少ないが、しかしこれだけ大きな傷だと、分かる事もそれなりにある。
 痕でもこれだけのものなら、きっとやられた時は酷いものだっただろう。
 李蝶の赤い血が畳一面に広がる光景、それがほたるの脳裡にぼんやりと浮んだ。
「痛い?」
「もう痛くも何ともねぇよ。言っただろ?何年も前の傷だって」
「…触っても良い?」
「あ?ああ、別に良いケド」
 ここまでほたるの興味を引くとは思わず、多少驚きながら李蝶はほたるの手が自分の傷に触れるのを見ていた。
 傷の真ん中は少し窪んでいる。
 ここまで大きい傷だと、きっと切られた時は痛いとかそんな感情じゃなくて、『熱かった』だろうと思う。
 そろそろと優しく傷の上を数回往復して、ほたるの手は離れていく。
「満足?」
 にっこりと笑って、李蝶がほたるに問えば、ほたるは浅く肯いた。
「そ。ンじゃあ俺はそろそろ着替えてくるわ」
 よっ、と軽い掛け声と共に李蝶は立ち上がり、自分の部屋の方へのんびりと歩き出した。
 その後ろ姿を見送って、また一人になったほたるは暇を持て余す事になる。
「はぁ…」
 ほたるは深く溜息を吐いた。
 また庭園を見れば、相変わらず花が咲いていて、良く言えば綺麗な、悪く言えば季節感の感じられないそこ。
 ほたるが庭園に視線を無駄に巡らせていたその時、李蝶が去った方向とは反対の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「どうしたんですか?溜息なんて吐いて」
 李蝶が去った後、再び掛けられた声にそちらを向けば、隣の幸村の部屋へ衣装等を持ってきた幸村付きの小姓二人だった。
 幸村の花魁衣装を綺麗にたたんで、両手一杯になっている小姓二人は、やけに可愛らしい。
「…暇なだけ」
 ほたるがそう答えると、烙葉と梨蓮はくすりと笑う。
「幸村様がいませんからねぇ。でも先刻李蝶様と一緒だったんじゃないんですか?」
「仕事に戻った」
「え?…おかしいな」
「何が?」
 烙葉の言葉に、ほたるは問う。
 すると、幸村の部屋の前に着物を置いて懐から一枚の紙を取り出した。
「あ、やっぱり。今日は李蝶様もお休みの筈ですよ」
「…そういえば・・・」
『一緒に休暇を取れば誰かの売上げが変わるわけじゃねぇし。な?』
 先日の李蝶の言葉が頭に浮んだ。
 自分がこうして暇を持て余しているのも、李蝶のあの言葉で休みを取ったからではなかったのか。
「何で李蝶様、見世に出てるのかなぁ?」
「急に仕事が入ったとか?」
「え、でも休みの日はどんなお得意様でも入れないきまりでしょ?」
「じゃあ、接待だけ」
「えー、李蝶様が接待だけってあるのかなぁ・・?」
 梨蓮が疑問を口に乗せれば、ほたるは「さぁ、何でだろ・・・」と視線を泳がせ、烙葉は梨蓮のギモンを更に深めた。
 しかしそんな事で悩んでいても仕方が無い。
 小姓二人は一先ず着物を幸村の部屋の中へと運ぶことにした。
 花魁衣装はかなり重い。
 厚手の生地と、重ね合わせに必要なだけの長襦袢等の枚数、帯と下帯、それらの重さは結構ある。
 先刻一度下ろした着物を再び抱えあげた時、今話題になっていた人物、基、先刻までほたると話をしていた人物の声と、まだ幼さの残るほたるや幸村付きの小姓と同じ年頃位の声が聞こえた。
「李蝶様、簪忘れてますってばーっ!」
「良ーってンなモン。邪魔なだけだろ、お前が挿しとけ。可愛いぞ」
「ダメですって!あ、ちょっと、李蝶様ー!」
 からかう様な李蝶の声と、困った様な小姓の声。
 その声の方を向けば、先刻とは違う着物を着た李蝶がいた。
 着慣れたもので、着物は手早く綺麗に、しかし色香を漂わせる多少の着崩がされている。
 髪を綺麗に結い直し、薄く紅を注している所を見ると、どうやら次はそれなりの上客らしい。
「よ、おチビさんら」
 軽く手を挙げて李蝶が幸村の小姓二人に言うと、ほたるは「ねぇ」、と李蝶に向かって声を発した。
「ん?ほたる、どした?」
「今日休みじゃないの?」
「ああ、その筈だったんだケド朝からすっげぇ暇だったから見世に出てんだよ。あ、でも今日の売上げの分は加算されねぇようにしてあるから安心しろよ。俺、暇って嫌いなんだよなぁ。じゃ、行って来るわ」
 ほたるの問いに聞いてもいない事まで話して、さっさと李蝶は立ち去った。
 その後を、ほたるに可愛らしい笑顔を向けて会釈をしていく礼儀正しい小姓が追っている。
「・・・だって」
 幸村の部屋と廊下との丁度境に居た二人にそう言えば、烙葉と梨蓮は関心の声を上げた。
「流石李蝶様ですね。しかもフェアで仕事してる」
「かっこいいですよね、李蝶様って。あ、というか、僕たちから見れば四方全員かっこいいんですけど」
 梨蓮がおどけて言うと、烙葉は同意でうん、と肯く。
 すると、肯いた直後、烙葉の顔がぱっと明るくなった。
「幸村様、お帰りなさいませっ!」


「はぁ…」
 堪らず屋敷から飛び出してきてみたものの、これからどうするか考える余地など、今のサスケには無かった。
 幸村に会いたい。
 只その一心だ。
 自分はこんなにも欲心深かったのだと、今更ながら思い知らされる。
 現に、今こうして簪を片手に持って足は陰間寵へと向かっている。

 今日は祭りで、でもサスケはそんな事には興味は無い。
 人込みを人の波に逆らわないように歩いていると、ふと目に入ったのは小間物屋。
 人を掻き分けてそこへ行くと、綺麗な簪が目に入った。
 きっと、幸村の髪にその簪はよく映えるだろうと、ふと頭を過る。
 蝶の形に成形された赤い石は光を放っているそれを、サスケは思わず買ってしまった。
 多少値は張ったが、その程度でサスケの私経済が傾く程、金には不自由していない。
 金なんていくらかかっても良い。
 幸村と、ゆっくりと話がしたい。
 サスケは開寵の時間を見計らって、寵門をくぐった。
 
 
「ただいま、二人共」
 自分の元へ寄ってくる二人の小姓に幸村はにっこりと笑顔を向ける。
「あれ?不知火様は一緒じゃないんですか?」
「先に帰ってきちゃったんだ」
 苦笑を零しながら、幸村は言う。
 正確には先に帰って来たのではなく置いてきたと云った方が正しいのだろうが、そんな事はこの際どちらでも良いだろう。
「ちょっとごめん、…一人にしてくれないかな?」
 一通りの会話を終え、幸村は自室の襖に手をかけた。
 兎に角一人になりたい。その気持ちで一杯だった。
「あ、はい。ではまた後で明日の準備などをしに窺います」
「ごめんね。あ、ほたる、もし不知火に会ったらさ」
「ん?」
「ごめんって言っておいてくれないかな?」
「ん。分かった」
 ほたるの返答を聞いた幸村は、何か言いたげなほたるを置いて、静かに自室へと入って行った。
 
 
 頭の中の整理をつけたい。
 一体サスケは何を考えているのか。
 他の所で色遊びをして花魁を好きになった?
 もしそれならそれで構わない。
 でも、それだと先日此処へ来た理由が分からない。
 じゃあ、誰にあの簪を買っていったのだろう。
 分からない。
 分からない事だらけで、幸村は沈む気持ちとは裏腹に感情の何処かで腹立たしさを感じていた。
 何で来たのか。
 自分の元からサスケを何故送り出したのか、何で多少なりとも分かってくれないのだろう。
 鈍感過ぎる。
 部屋の障子を開け、優しく入ってくる風に長い髪を遊ばせながら、幸村は頬杖を付いて外を眺めた。
 何度見ても自分の気持ちとは裏腹な空は何処までも青く、広い。
「はぁ…」
 溜息を一つ吐き出して、幸村は自分の自室を見回す。
 もう長い間、この部屋で暮している。
 今までを思い返してみると夜に自室で寝る事なんてあまり無いが、それでも自分の物は着実に増えている。
 部屋に物が増える度に思うのが、自分がどれだけ汚れていくかと云う事。
 花魁は自分で物を増やしていく事はあまりない。
 増えていくと云う事は、客に貰う物を置くという事。
 物が増えていく事は自分はそれだけ客をとっているという事だ。
 改めて、自分のその汚れていく様に溜息が漏れ、肺の中の全ての息を吐き出し終えた時、ふいに障子の外から声が聞こえた。
『幸村様』
 その声は、烙葉の物だった。
 声が、やけに緊張している。
「どうしたの?」
「実はお客様が…」
「客…?僕、今日は休みだって外に出してなかったっけ?」
「はい、そうなんですが…お話だけでも、とおっしゃる方が…」
 一体誰だろう。今まで休みを取った時にそんな事は一度も無かった。
「誰?」
「さぁ…お名前は存じ上げません。ただ…」
「ただ?」
「先日楼主様の所へ行かれた方です。幸村様の所へみえた」
「…っ!」
 この間自分の所へ来て葎の所へ行った人物何て一人しかいない。
『サスケ』。
 どうして。
 またあの時の事が繰り返されるのか。
「あの、幸村様、如何致しましょう?」
 どうしよう。
 どうする?
 どうすれば良い?
 でも、丁度今なら、仕事の格好ではない。
 仕事の格好の時は、見て欲しくない。
 もしかしたらそろそろ話をつけるべき時なのかもしれない。
「幸村様?」
「・・・良いよ、分かった。悪いけど、此処へ連れて来てくれる?」
「こちらへ、ですか?」
「うん」
「畏まりました」
 すっ、と障子に映る影が消え、少しして二つの足音が近づいてくる。
 楼閣からこちらまでそんなに近かっただろうかと思ったが、そうではない。
 只、自分にこんなにも余裕が無いのだと思い知らされた。
 スッ、っと障子が開けられ、廊下には長身の青年が一人立っていた。
 真剣な面持ちで、何処か緊張しているようにも見える。
 幸村は、にっこりと笑いかけた。
『大丈夫。』
 そう自分に言い聞かせて――…・・・


「ちゃんと話すのは久し振りだね、サスケ」


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